北川鈴子は言った。

「実は母の実家は鹿児島なんです。もうわずかしか親戚がいないのですが、どうしても行きたいと言っています。私もついて行きたいと考えています。どうでしょうか?」

伊吹は感じた。──愛があるのだ。親子だから当然だ。

わだかまりは、実は小さいのかもしれない。

そんな言葉は今は絶対に吐いてはいけない。

だからこう言った。

「医学的に可能か判断するには、血液検査と在宅エコーの結果を見てお話ししたいと思います。

私の今の想像では可能ではないかと思いますので、予約など必要なものがあれば進めていただいて結構です。いつ頃行きたいのでしょうか?」

「すぐにでも行きたいのです」

「わかりました。すぐに検査の手配をします。二週間後の訪問診療の時にお話しします」

「ありがとうございます」

門を出て、伊吹は真鍋医師に言った。

「これは複雑問題の症例になるかもしれないけれど、頑張ろうね」

その後のデータと訪問看護からの報告から、創部の処置は本人と家族で対応できると判断できた。鹿児島行きは可能だ。

訪問診療の時、伊吹は伝えた。

「鹿児島に行くとしたら今でしょう。血液検査では貧血が進行していて、Hb(赤血球の指標)がかなり低いですが、アルブミン(栄養状態を示す蛋白)の値は3.5程度で維持できています。その他の値もそれほど悪くない。小旅行なら可能です。行かれて結構です。鹿児島が実家なんですね。娘さんも行かれたことがありますか?」

下川和子は笑顔になった。よほど行きたかったのだとわかる。北川鈴子は冷静な声で答えた。

「小さい頃は何回か行きましたが、もうずっと行っていません。お母さんも戻っていなかったので。仕事の段取りを整理していくことにします。予約など、ほんとこれからなんです。……また“行く”と言って行かないかもしれないのに」

何か複雑な事情があるのだろうが、これ以上は聞かないほうがよい──と伊吹は思った。

「それでは、今日は失礼します」

 

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