子どもたちは、親の気持ちに思いが至らないのだろうか。夫が私に遺してくれた家も、若い頃毎日手入れした庭も、すべて潰されて売られてしまうのだろうか。

家族とは、親子とは、なんだったのかしら。私は子どもに、介護してほしいとは思わない。手厚く看取ってほしいとも、思わない。親に感謝しろなんて言わない。

ただ私は自分にできる精一杯、子育てをして家事もしてきた。それに子どもが所帯を持って、一国一城の主になる際には、多少なりとも援助はした。夫に早くに先立たれて、やっとやりたいことができると思った矢先、つけ入ってきたのが坂本だ。

私にはどこを探しても、彼を恨む気持ちはなかった。恋というのじゃないけれど、ただの一回だけ幸せを噛みしめてみたかったのが、そんなに悪いことなのか。

私は毎日砂を噛む思いをして、生活をしている。いくら考えても、将来が見えない。このまま消えてしまいたいとさえ思う。それでも生きているのは、ここで死んだら息子たちの思う壺だからだ。毎日の歩行訓練にも参加している。

もう温泉にも海外旅行にも行けなくなってしまったけど、時折、夢に出てくる坂本の笑った顔、それを思い出せば、どんなにつらい生活でも耐えていける気がする。

二度と会うことも言葉を交わすこともないけど、たった一度の幸せな記憶を持って冥土に旅立てる私は、たしかに不幸せではなかったのだ。

今夜も優しい夢が見られますように。

次回更新は4月30日(木)、14時の予定です。

 

▶この話の続きを読む
「至急、入院の準備をしてこちらの病院へ行ってください」と言われ、頭が真っ白になった!

👉『泥の中で咲け』連載記事一覧はこちら

▶同じ作者の人気小説を読む
週末になると、別居中の夫が洗濯物をたくさん持って私の実家に来る。そんな夫にあまりに冷たくあしらわれる私を見た母は…