この日も新宿から目白台、目白台から山吹町、矢来町そして市ケ谷を経て信濃町まで足を伸ばしてみた。どこも忙しく働く人々で溢れているのに、何の手がかりも得られなかった。この半月で詳しくなったのは新宿区の地理くらいのものだった。

何のことはない、準備不足だったのだ。本当はもっと下調べをしてからのつもりでいたのだが、伊藤医師に炙り出されるようにして出て来たから仕方がなかった。そう思うと、あののっぺりとした顔が浮かんできたが、別に腹を立てるでもなかった。

今まで人に悪意というものを抱いたことがなかったのだ。その一方では善意もまたないのかも知れなかったが。

骸骨はとぼとぼと戻ってくると駅のベンチに腰かけた。入り口の硝子扉の向こうに夕陽が赤々と燃えていた。一日を無益に過ごしたのだという疲労感と、だが積極的に仕事を探したのだという負け惜しみにも似た満足感が胸に去来した。

骸骨は胸ポケットから煙草を取り出すと火を点けた。そしてゆっくりと煙を吸いこむと放心状態に陥った。そんな様子を何となく眺めている高校生の女の子たちがいた。彼女らは骸骨の異様な風体に目をつけたものらしかった。

灰色の背広や黒の帽子はいいとしても、手元の軍手が如何にも田舎者然としていた。それに身のこなしがぎこちなくて妙に表情というものがなかった。義肢装具士の作った肌色のマスクは実に精巧に出来ており、陽の下でもちょっと見には人工物とは思えないのだが、動きのないところは如何にも仮面染みていたのだ。

彼女らはじろじろと眺めていた。ふとその中の一人が、「あっ」と小さな声を上げた。骸骨の胸元から、そして帽子の中からポヤポヤと煙が立ち昇っていたのである。

「ちょっと、ちょっと」

彼女は目を丸くして隣の子を肘で突いた。 

「と、透明人間じゃないの?」

「ま、まさかぁ」

「でも、あれ何? ほら、体から煙が出てるじゃない」

彼女らはその場で身を固くしていた。だがその驚きが周囲の人々に伝わることはなかった。やがて骸骨は立ち上がると駅を出ていった。彼女らは茫然とその後ろ姿を見送った。

相変わらず人々はそそくさと行き来していた。女の子たちは目をパチクリして骸骨は外に出る、ただそれだけのことだったのである。

次回更新は4月19日(日)、8時の予定です。

 

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半身筋肉男は厭世的に呟く。「生きていることは幸運でもなく不運でもなく、ただそれだけのことだ」と。

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