だが悪いことばかりでもなかった。五月には何とか運送会社の倉庫番の仕事が見つかったのだ。それだけではない、つい先日届いた義肢装具士の作ったマスクも本物と見紛うばかりだった。カツラをつければ日中でも外へ出られそうだったのだ。あとは手首が出来るのを待つだけだった。

今度は何とかいきそうだった。また深夜の仕事になったが、骸骨は笑顔を取り戻した。その作業は夜に始まって、朝までにトラックへ仕分けされた荷物を積みこむものだった。

手荷物の扱いが主だったから、腕力のない骸骨にも充分勤まるものらしかった。渋谷医師もやっと一息つけるようになった。

庭の桜の木がいつの間にか満開になっていた。少し開けた窓から新緑の匂いが風に乗って入ってきた。夕方の風はやわらかく、渋谷医師は一日の仕事を終えて、のんびりと煙草を吹かしていた。傍らでは看護師が一人後片づけをしていた。

彼は器具の立てるカチャカチャという音や看護師の足音を聴くともなく聞いていた。するとドアをノックする小さな音がした。

「はい、どうぞ」

看護師がそう応えた。今時分誰だろうと思っていると、間を置いて入ってきたのは娘の絵里子だった。

「なあんだ絵里ちゃんか」

二人が同時に言って、医師と看護師は顔を見合わせた。

「どうしたんだい?」

殊更おどけたような顔で渋谷医師が訊いた。娘がここへ来るのは珍しかった。

「うぅん、なんでもないの‥‥」

そう言ってはにかんだまま、絵里子はドアの側に立っていた。彼は身振りで引き寄せた。すると絵里子はトトトと軽い足音を立てて彼の膝に跳び乗った。

「何だ、甘えん坊だなあ」

そう言いながら、彼の頬は弛んでいた。看護師はそんな親子をにこにこと見守った。何のことはなかった。母親の彰子が居間で転た寝しているので、退屈してしまったのだ。

絵里子はお下げ髪を渋谷医師に触らせて足をパタパタさせていた。

「あれなぁに?」

そう言って膝元を飛び降りると、もう骸骨の前に走り寄っていた。そして不思議そうに見上げると、骸骨の手にそっと触れてみた。

「このオジさんなぁに、いきてるの?」

絵里子は真顔だった。看護師はぷっと吹き出したが、渋谷医師は笑えなかった。どう応えてよいか解らなかったのである。

次回更新は4月17日(金)、8時の予定です。

 

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ウワサの骸骨、別れを告げる...あんな姿で、あんなに世間知らずで一体どこへ行くというのか。

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