はじめに

父は中学校の数学教師、兄は工学部の学生だったこともあり、高校時代から私も数学が面白くなり数学者を夢見た時期があった。そんな時、大学院で同級生となったK君と巡り合った。

K君は、数学の最先端の難解なトピックをわかりやすく、手や足を交差させたり、ひっくり返したりしながら、体全体を使って生粋の大阪弁で実にわかりやすく説明してくれた。

院生時代に世界的に有名な数学専門誌に研究成果が掲載されたほどだ。

「うーん、数学者とはこういう人がなるべきだなー」と思った。その後私はコンピューターソフトウエア会社に就職した。

しかし、「利益、利益」。上司の声が、また耳の奥で反響する。

窓際の席でパソコン画面に向かいながら、私はため息をつく。

入社してわずか数か月。数学という純粋な学問の世界から、突如として投げ込まれた企業の現実は、想像以上に私の心を締め付けていた。あの日も、いつものように下を向いて帰る電車の中。ぶらぶら揺れる吊り広告に、ふと目が留まった。

「青年海外協力隊員募集」。

そこに描かれていたのは、まるで私の心を映し出すようなフレーズ。

「こんな小さい自分だが、広い世界で生きてみたい!」。

心の底から揺さぶられるような感情が込み上げてきた。

父は学校の番犬と呼ばれた中学校の数学教師。朝一番に登校し、誰も来ていない運動場で、生徒がケガしないようにと釘や石ころを拾った。最後の生徒を見送るまで帰らない。

そんな父は、私の突然の退職宣言に失望し、激しく反対した。

しかし、私の決意の強さは、次第に父の心も動かしていったように思う。

「体に気を付けて。お母さんを悲しませないように」。

フィリピンへの出発の日、父はそっとつぶやいた。その言葉の重みを、私は深く理解していた。

母は病弱で、私が子どもの頃から入退院を繰り返していた。自宅で生け花や洋裁を教えながら、それでも細い体で私たち家族を支えてくれた母。出発直前、再び入院中だった母は、辛い体を押して病院の玄関まで降りてきてくれた。

「お母さんに何かあっても戻ってこなくていいからね」。その細い、温かな手が私の手を力いっぱい握った時、母の潤んだ瞳に秘められた思いが胸に突き刺さった。

思わず目頭が熱くなり、私は空を仰いだ。中途半端な生き方はできない。