しかし、私は幼い頃から精神世界にも強い関心をもっていました。そのわけは、祖母が極めて敬虔な浄土真宗の信者でしたので、物心ついたときから、宗教的な環境に馴染んでいたためです。
私は、すべての人間はやがて死ぬという事実を受け入れることができませんでした。小学校に入学する前から、死ぬ事が何よりも怖かったのですが、それにもかかわらず既にこの世に存在してしまっていたのですから、必ず死ななければならないのです。このことを考えるたびに、どうしようもない絶望感に打ちのめされました。
それも、自分で希望してこの世に生れてきたわけではなく、気がつけば既に生れてしまっていたのです。私は何度も、悪い夢を見ているに違いない、早く目が醒めてほしいと願いましたが、目が醒めることはありませんでした。
しかし、毎日朝から晩まで悩んでいたわけではありません。普段は日常生活のさまざまな出来事に紛れて、死の恐怖を忘れていたのですが、時々思いがけない瞬間に突然、その恐怖に襲われるのでした。そういう風にして、私は中学生、高校生、大学生として成長していきました。
中学生のときに読んだ最も感動的な書物は倉田百三著の『出家とその弟子』でした。左衛門から「偽善者」「乞食坊主」と罵られ、手荒く追い払われた親鸞が、左衛門を許し、むしろ左衛門の悩みに共感する場面には、涙が止まりませんでした。
また、大学生のときに天才数学者で敬虔な仏教徒でもありました岡潔が書いた『春宵十話』『昭和への遺書』などの随筆を読んで、強く感化されました。私に「大我」と「小我」を最初に教えてくれた人が岡潔でした。
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