(四)
父は西に逃げろと言ったが、西には延々と草原が続いている。二人乗りでは速さで勝ち目がない。リョウは、自分に言い聞かせるようにシメンに言った。
「このままでは、いずれ追い付かれる。北の岩山を目指すぞ」
そこはリョウとシメンがいつも馬を走らせて遊んでいる岩山で、その先には森もある。最短距離を取ると、途中に大きな石がゴロゴロしている岩場を通らなければならないが、リョウは迷わずその道に突っ込んだ。
岩場の中を右に左に続く、走りやすい細い草の道があることを知っていたからだった。慣れていない敵はそう簡単にはここを走れないだろうと踏んでいたが、案の定、すぐ近くまで迫っていた敵の二頭は、岩場に入ってから少しずつ遅れていく。
「もう少しだ」、そう思ったリョウの耳に「ヒュルル」という音が聞こえたかと思うと、敵の矢が身体の左側をかすめていった。
「危ない」と後ろを振り向いたリョウの眼前に二本目の矢が迫っていた。反射的に身をかわすと、矢は思わず振り向いたシメンの左頬を削り取り、血しぶきが後方に飛んで行った。「ウグ」とうなるシメンの声に「しまった」と思ったが、リョウには走り続けることしかできなかった。
「がんばれシメン、もう少しで岩山だ」
シメンも馬の鬣(たてがみ)に必死に掴まっているので、裂けた頬を抑えることさえできなかったが、じっと痛みと恐怖に耐えていた。
ようやく岩山の麓にたどり着くと、リョウは迷わず岩山を斜めに上る細い崖道に足を踏み入れた。グクルは、足の速さではヒズリに劣るが、二人を乗せてここまで走ってきた耐久力と、岩山でも怖じけずに上る強さでは勝っていた。
リョウはシメンがグクルを選んでくれたことに感謝すると同時に、「父さんはヒズリに乗ることができただろうか」と思った。
さしもの敵も、岩山の険しい崖伝いに上る二人を目にして追撃を諦めたようだった。二人は、中腹に身を潜めて、シメンの傷の手当てをしながらしばらく様子をうかがっていた。
もう大丈夫と立ち上がった二人の眼に、草原の遥か向こう、集落のある辺りに黒い煙が立ち上っているのが見えた。二人とも何も言わなかったが、両親はもうこの世にはいないかもしれないという思いが込み上げ、リョウはシメンの手を強く握った。
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