【前回記事を読む】夏目漱石『こころ』における「先生」――どんな人にも表と裏があるという人間観、ぎょっとする物凄い場面。これらの共通点は…

第一章 沙翁の筆端神(しん)あるを知れり――『リチャード三世』『ジュリアス・シーザー』

心をかきむしる「悪人」シェイクスピア

「かなり悪人」であったに違いないシェイクスピアは、そのもて余す「悪」をモンテーニュのように直截に語るのではなく、「情念につかれた人物の口に託す」形で表現した。だから観客は舞台上の同一人物に「善/悪」両面を同時に見守ることにもなる。

シェイクスピアが創造した、ハムレットをはじめとするその種の「悪人」にニーチェは「心をかきむしられた」というのだが、さて、このシェイクスピア観は漱石にもそのまま当てはまるのだろうか。

「ハムレツト見た様な傑作を書くんだ」を口癖とし、かつ英訳『ツァラトゥストラ』に『漱石全集』で総計一六頁にもわたる詳細な感想・批評を書きこんでいる漱石のこと、この見方でもニーチェとは波調が合っていたのか。

そのあたりも追い追い明らかになるはずだが、まずは、シェイクスピア各作品の漱石所蔵本への書き込みの多量さにふれておこう。

余白に書き込んだり、紙片を挿んだりして入れられた文章は、すべての所蔵本への書き込みを集めた『漱石全集』第二十七巻全体の七分の一(六〇頁以上)を占める分量に上る。

それらの書き込みを作品別に集計して点数の多い順に並べてみると、『ハムレット』がやはり筆頭で九三点。これに六〇点の『マクベス』(版の違う二冊にそれぞれ書き込みがあり、その合計)、三八点の『ヘンリー四世 第一部』(これも二冊の合計)、三〇点の『リチャード三世』が続くという展開になる。

以下、『リチャード二世』(二七点)、『ヘンリー四世 第二部』(一八点)、『空騒ぎ』(一五点)、『コリオレイナス』(一三点)、『尺には尺を』(七点)、『冬物語』(五点)、『オセロー』(四点)、『ジュリアス・シーザー』(二点)、『ウィンザーの陽気な女房たち』(一点)と続く。

このうち『ハムレット』と『マクベス』は講義準備用らしいメモ書きが多く並ぶのだが、この二つと『オセロー』以外は『文学論』への引用はあっても教室での講読はなされた記録がないので、書き込みの多さは漱石自身の感動や研究意欲の強度を示すものと見てよさそうだ。