雅彦がポケットから小さな箱を取り出した。よし子の心臓が1回、大きく鳴った。

「これは——」

「僕と結婚してください」

箱を開くと、細い銀の指輪が入っていた。大きなダイヤモンドではない。シンプルな、でも丁寧に作られた指輪。よし子の目から、一瞬で涙が溢れた。

「こんな高価なもの——」

「高くないですよ。でも、町の小さな工房で、一つひとつ手作りしてもらいました。あなたの手に合うものを」

雅彦はよし子の前にひざまずいた。ズボンの膝が土で汚れるのも構わない様子で、よし子を見上げた。

「あなたに出会って、僕の人生にもう一度灯がともりました。残りの人生を、あなたと一緒に過ごしたい。美咲さんも含めて、家族になりたいんです」

言葉が出なかった。嬉しいのに、声にならない。ただ涙が流れるばかりだった。

48歳でプロポーズされるなんて、夢にも思っていなかった。もう恋愛なんて終わったと思っていた。人生の第二幕なんてないと思っていた。

「はい」

やっと絞り出した声は、かすれていた。

「はい。お願いします」

雅彦がよし子の左手の薬指に指輪をはめた。少しだけゆるい。それが雅彦らしいと思った。完璧じゃなくていい。この不器用な優しさが好きなのだ。

立ち上がった雅彦が、よし子を強く抱きしめた。渓谷の風が2人の髪を揺らした。

結婚式は小さなものにした。旅館の大広間に、従業員と美咲、雅彦の息子の大輝、それに雅彦の母親の千鶴だけを招いた。

よし子は白い着物を着た。この年齢には派手すぎると遠慮したが、節子が「馬鹿言わないで。花嫁は白を着るもんです」と押し切った。