沈黙が落ちた。電話の向こうで、美咲の息遣いだけが聞こえる。
「……付き合うって、どういうこと」
「恋人として、お付き合いを——」
「は? 何言ってるの」
美咲の声が鋭くなった。よし子の手に汗がにじむ。
「待ってよ。お母さん、お父さんが死んでまだ3年だよ? それなのに男の人と? いつから? まさか旅館に行ってすぐ?」
「美咲、落ち着いて——」
「落ち着けるわけないでしょ!」
美咲が叫んだ。電話越しでも、涙声だと分かった。
「お父さんのこと、もう忘れたの? お父さんが死んだ時、一緒に泣いたよね。もう2人で頑張ろうって言ったよね。なのに、なんで知らない男と——」
「忘れてなんかいない。お父さんのことは——」
「嘘。忘れたから他の男と付き合えるんでしょ。お父さんがかわいそう。お父さんが——」
美咲は泣き出した。言葉にならない嗚咽が、電話越しに響く。よし子は受話器を握りしめたまま、自分も涙を流していた。
「ごめんね、美咲。でもね、お母さんも——」
ぶつりと電話が切れた。
かけ直しても出ない。LINEを送っても既読にならない。
よし子は布団の上にうずくまった。やっぱりだめなのかもしれない。私は母親だ。娘を悲しませてまで自分の幸せを追いかけていいはずがない。
正志が生きていたら。そう思うと涙が止まらなかった。
(美咲を傷つけてしまった。私が傷つけてしまった)
翌朝、腫れた目のまま仕事を始めた。何度も茶碗を落としそうになった。節子が怪訝な顔をしていたが、何も聞かなかった。
昼休み、厨房の裏で1人になった時、涙がまた溢れた。壁にもたれて声を殺して泣いた。