でも、雅彦の顔が浮かぶ。あの温かい手のひら。耳元で囁かれた「付き合ってほしい」という言葉。あの声が耳の奥に残って離れない。
正志なら、何と言うだろう。「お前は好きにしろ」と言ってくれるだろうか。それとも——。
ふと、美咲の顔が浮かんだ。もし付き合うことになったら、美咲に何と伝えればいい。「お母さんに好きな人ができたの」——美咲はどんな顔をするだろう。
写真立ての中の正志が、穏やかに笑っている。結婚10周年の旅行で撮った写真だ。美咲がまだ小学生の頃。3人で行った水族館。正志の大きな手が、美咲と自分の手を繋いでいた。
あの手はもうない。でも、新しい手が差し伸べられている。
(正志、どうすればいい。あなたならどう言う? 「お前は好きにしろ」って言ってくれる?)
翌朝、よし子は雅彦を呼び止めた。旅館の裏庭。山桜がはらはらと散っていた。
「お返事、いいですか」
雅彦は緊張した面持ちで頷いた。
「私は48歳で、特技もなくて、見た目もおばさんです。娘もいます。それでもよければ——」
「それでも、じゃなくて」
雅彦が遮った。
「娘さんがいるあなただから、好きなんです。一生懸命なあなたが」
桜が1枚、よし子の肩に落ちた。雅彦がそっとそれを払い、代わりに肩を引き寄せた。
「よろしくお願いします」
よし子は雅彦のカーディガンに顔を埋めて、泣きながら笑った。
(ありがとう。ありがとうございます、雅彦さん)
次回更新は3月27日(金)、21時の予定です。
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