【前回記事を読む】目を閉じると、柔らかくて温かいキス…膝が折れそうになった私を彼が支えてくれて「ずっと、こうしたかった」と囁かれ…
抗えない夜
あの夕暮れのキスから3日が経っていた。
よし子は藤堂さんの顔をまともに見られなくなっていた。声が聞こえるだけで胸がどきどきし、足音が近づくと反射的に背を向けてしまう。同じ廊下にいるだけで唇が熱くなるようで、まるで自分の体が自分のものではないようだった。
(あの人は後悔しているんじゃないかな。気の迷いだったかもしれない。48歳のおばさんにキスするなんて、正気じゃなかったのかもしれない)
そう思おうとした。でも、唇に残る感触が消えなかった。目を閉じるたびに、あの温かさが蘇る。
「ぼうっとしてないで手を動かしなさい」
節子に叱られて我に返った。茶碗を危うく落とすところだった。
(だめだ。集中しなきゃ)
その日の夕方、よし子が厨房で翌日の仕込みをしていると、藤堂さんがやってきた。
「栗原さん。少しお時間いただけますか」
心臓が跳ねた。返事をしようとして声が出なかった。
「は、はい」と絞り出した声は情けないほど小さかった。
藤堂さんに案内されたのは、旅館の敷地の奥にある離れだった。普段は使われていない一棟で、こぢんまりとした和室に囲炉裏がある。藤堂さんが火を起こし、鉄瓶でお湯を沸かしてくれた。
「お茶を淹れます。座ってください」
よし子は正座して待った。畳の匂いがした。囲炉裏の火がぱちぱちと音を立てている。
(なんでこんなに静かなの。自分の心臓の音が聞こえそう)
藤堂さんが湯呑を差し出した。指が触れた。ほんの一瞬だったが、よし子は思わず手を引いてしまった。
「……あの日のことを、謝りたかったんです」
藤堂さんが静かに言った。
(謝りたかった。やっぱり後悔していたんだ。そうだよね、そうに決まってる)
「雇い主という立場で、あんなことをして。嫌な思いをさせてしまったのなら」
「嫌じゃなかったです」
口をついて出た言葉に、よし子自身が驚いた。
(あ。言ってしまった。なんで言ったの)
藤堂さんが顔を上げた。