玄関で見送りをした後、よし子は裏口に回って壁に背中を預けた。膝が笑っている。3日間、ずっと緊張していたのだ。
「栗原さん」
振り向くと節子が立っていた。腕を組み、いつもの厳しい顔。
「あんた、料理長に頭下げてお客様の記録を調べたんだって」
「はい。すみません、勝手に——」
「何を謝ってるの。当たり前のことをしただけよ」
節子の声が少しだけ柔らかくなった。
「根性だけはあるわね。前の笹本より覚えが早い。——まあ、及第点よ」
及第点。節子からのその言葉が、どんなお客様の賞賛よりも嬉しかった。涙を堪えて「ありがとうございます」と頭を下げた。
その夜、部屋に戻って美咲にLINEを送った。
「今日、ちょっとだけ褒められたよ」。
美咲からすぐに返事が来た。
「お母さんすごい! やっぱりお母さんは頑張る人だよ」。
スマートフォンを置いて窓を開けた。山の夜気が頬に冷たい。星がきらきら光っている。
実は、よし子は気づいていた。常連客の2日目の夕食の時、襖の影から藤堂さんがこちらを見ていたことに。柚子胡椒を添える自分を、辛口の地酒を注ぐ自分を、じっと見つめていた。その視線の温かさを、背中で感じていた。
(見ていてくれたんだ。……嬉しいと思ってはいけないのに)
次回更新は3月24日(火)、21時の予定です。
▶物語を最初から読む
“ある条件”さえのめば、月給32万円のハロワ求人…娘に見せると震える声で「月に1度は必ず帰ってこれるんだよね?」と…
▶イチオシ回を読む
2度目のキスは、あの夜よりも深かった…体の隅々まで優しく触れられて、声が漏れてしまった。体中に電流が走るような感覚がして…
▶『愛され未亡人の、湯けむり恋物語』連載記事一覧はこちら