そしてもう一つの〈オシャレ〉は髪型、いわゆる〈テクノカット〉である。

ミュージシャンと言えばそれまでは長髪とか奇抜な髪型で、金髪などに染めることも多かったが、あえて逆を行き、黒髪・刈り上げ・もみ上げを斜めにまっすぐカット、という清潔感極まりない髪型にした。

これがかえってオシャレに見えたのである。〈シャレっ気〉こそ〈オシャレ〉の源であり、この精神はYMOがオシャレであり続けるために常に存在し続けることになる。

これらが融合し、YMOは〈オシャレ〉で〈最先端〉のニューウェイヴ・ポップカルチャー先駆者となったのである。

ブレイクしたYMO

1979年11月9日に帰国した一行は、ツアー中に「日本で売れ始めている」ということは聞いていたが、まだ実感がなかった。

ところがワールドツアーから帰国するとどうも様子が違うことに違和感を覚えた。パチンコ店から『ライディーン』が流れ、街中を歩いていると他人が振り向く状況である。

YMOの曲と同時に、3人のキャラクターも公共の知るところになったのである。

12月19日中野サンプラザでの凱旋公演では、初めての2000人規模のホールでのワンマンライヴだというのにチケットは即完売となっていた。

客の反応も、ツアー前に行った芝・郵便貯金ホールのライヴとは比べ物にならないくらいに熱く、年をまたいで1980年に大ブレイクする予感に満ちたライヴであった。