【前回の記事を読む】どうも様子がおかしい。世界ツアーから帰国した際、YMOを取り巻く様子が一変していた。この時彼らが感じた不安感によって…
DiscI YMOバイオグラフィー
Track1. 突如出現した電子音の魔法
ブレイクしたYMO
YMOは日本で商業的に成功したことで、サブカルチャーからメインカルチャーとなり、〈サブ/メイン〉の二項対立を完全に崩した。同時期、さまざまな文化がポップカルチャー化していく。
替わりに現れたのが〈オシャレ/ダサい〉の二分化である。
ウォークマン1でYMOを聴きながら街を若者が闊歩する1980年、サブカルチャーはニューウェイヴ・ポップカルチャーへと大きく昇華する。
YMOが日本で大ヒットしたこのときには、YMO/テクノポップ/ニューウェイヴ、というカルチャー用語はセットで認識された。
テクノポップの元祖であるドイツのクラフトワークやアメリカのDEVO(ディーヴォ)が輸入され、同時期には日本テクノポップ御三家と言われるP-MODEL、ヒカシュー、プラスチックスにも〈オシャレ〉に敏感なサブカルエリートは飛びついた。
つまり、YMOをきっかけに〈自分だけが知っている〉優越的差異化を求めるサブカルエリートは、国内外問わずオシャレなアーティストを探していくのである。
YMOと親交のある海外アーティストも聴き、雑誌『FOOLʼS MATE』などのマイナー音楽誌で欧米(特にロンドン)のサブカル情報を得ていく。
中でも80年代最大のサブカル情報源は雑誌『宝島』であった。80年代前半の『宝島』は、いち早くサブカル情報を発信し、音楽のみならず、漫画、コラムニストなど〈最先端のオシャレなモノ〉を紹介するサブカル雑誌であった2。
最初のシングルカットとなった『テクノポリス』は〈ト・キ・オ〉というヴォコーダーで始まるが、1980年1月1日に発売された沢田研二の新曲『TOKIO』のタイトルは、作詞した糸井重里が「テクノポリス」を聴いてつけたというのは有名な話である。