一方の坂本龍一は都立新宿高校に通っていた1970年代初期において、新宿のサブカルチャー、カウンターカルチャーの影響をもろに受け、学生運動をやっていた。
その後、東京藝術大学作曲科・大学院で音響研究科を卒業し、現代音楽や前衛音楽に傾倒していく。
音楽理論とセンスに周りも自身も才能を認めており、スタジオミュージシャンとして基本的にソロで活動していた。
バンド活動はYMOが初である。この3人が、さまざまな縁と偶然が重なり、一緒にレコーディングをすることになった。
このときの様子を見ていた細野晴臣のマネージャー日笠雅子(後に日笠雅水(まさみ)と改名)は、2018年に次のように語っている。
「このレコーディングで3人が初めて一緒に音を出した瞬間に、ああ、これはもう決まり!と感じました。ぱしっと1回でキマったんです。このレコーディングで結成は決まったようなものだと思っています3」
『ファム・ファタール〜妖婦』のレコーディングが終わった78年2月に、細野は高橋と坂本にYMOの構想を語る。細野の家に3人が集まってこたつに入りながら語ったのである。以下のように高橋幸宏は当時の様子を語っている。
「ある日細野さんから電話があって、夜中に坂本くんと自宅へ行きました。なぜか3人でおにぎりを食べながら、細野さんが日本じゃなくて海外向けのバンドを作りたい。コンピュータを使って、しかも曲はマーティン・デニーが作曲した(中略)ファイヤークラッカーのようなカバーをやりたいと 4」
1――松木
2――1972年にデビュー。加藤和彦、高中正義などがメンバー。1975年にはロキシーミュージックの前座として全英ツアーに出演。高橋はYMOワールドツアー前に3人の中で唯一、海外ステージの経験を持つ。
3――吉村栄一『YMO 1978-2043』
4――松木
次回更新は4月3日(金)、20時の予定です。
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