高橋幸宏はサディスティック・ミカ・バンド2で、リズムボックスに正確に合わせるドラミング技術と、そこに人間臭さをプラスした情熱的なリズムを叩く能力があり、それ以前のドラマーのイメージではなく、スタイリッシュでクールにビートを刻むことに抜群の魅力と才能を持っていた。

ミュージシャンとして活動するのは、兄である高橋信之の影響が大きかった。高橋幸宏が立教中学のときに信之はミュージシャンとしてプロデビューしており、幸宏自身も立教高校時代にはスタジオミュージシャンとして活動を始め、1969年にはフォークグループ・ガロのサポートメンバーとして参加している。

その一方で姉の伊藤美恵の影響もあって、ファッションデザイナーとしての活動も始める。立教高校3年のとき、ミュージシャンとして活動しながら、1970年に美恵がデザイナー兼社長として立ち上げたブティック、BUZZ SHOPの経営を手伝うようになる。

ファッションデザイナーを目指し、翌1971年に武蔵野美術大学生活デザイン科に入学するも、1972年にサディスティック・ミカ・バンドに加入することで音楽活動が忙しくなり、大学を中退する。

しかし1975年にバンドは解散。その頃に、幸宏は自身がデザイナー兼オーナーを務めるブティック、BRICKSを設立。YMOの衣装デザインは幸宏が担当した。

幸宏はミュージシャンとファッションデザイナーの二足の草鞋で活動を続けることになる。