【前回の記事を読む】若き日の細野晴臣は『はっぴいえんど』『キャラメル・ママ』を経て、あるアイデアを思いついた。当時、メンバーについては…
DiscI YMOバイオグラフィー
Track1. 突如出現した電子音の魔法
ここで注目したいのは、YMOの発想が当初からグローバル展開を視野に入れたものであったことである。
それまでも坂本九の『上を向いて歩こう(英題:SUKIYAKI)』など全米ヒットの邦楽はあったが、あくまでそれは偶発的な結果であり、最初から狙っていたものではなかった。
グローバル化を狙った前例としては、70年代のピンク・レディーが挙げられる。日本での大ヒットをきっかけにアメリカに進出したのだが、失敗に終わった。
なぜYMOがグローバルに展開し、日本で大ヒットとなり、ポップカルチャーの幕開けとなったのか。
それを実現するにはYMOのメンバーのみならず、アルファレコードの村井邦彦、そしてもう一人、川添象郎(しょうろう)という二人の存在がなければ成し得なかった。
さらに重要なのが、川添象郎の父が開店したイタリアンレストラン[キャンティ]の国際文化交流のサロンとしての存在だ。
細野はいう。
「この出会いなくして、YMOの成功はなかった。キャンティは日本のカルチャーの核心だった1」と。
キャンティは如何なる存在だったのか、そこでの細野と村井と川添象郎の邂逅はどのようなものだったのか。
YMO誕生前夜として、川添象郎の父、川添浩史まで遡る必要がある。