Track1. 突如出現した電子音の魔法

イエロー(Yellow)・マジック(Magic)・オーケストラ(Orchestra)なる音楽集団のコンセプトを作ったのは細野晴臣である。

細野は立教大学在学中に、エイプリル・フールのベーシストとしてメジャーデビュー。

1969年に日本語ロックの草分けとして伝説を生んだ、はっぴいえんどを結成。

松本隆、大瀧詠一、鈴木茂といった、その後の日本の音楽界をリードする有名なミュージシャンが集まったバンドである。

1972年、はっぴいえんど解散後、細野はキャラメル・ママを松任谷正隆、鈴木茂、林立夫らと結成。

その後、1977年に村井邦彦が社長を務めるアルファレコードとプロデューサー契約を交わした。

ここが一つのターニングポイントになる。

村井は当初から世界に通用する音楽は〈ディスコミュージック〉と考え、細野もそれに賛同した。そして、同年11月にアルファレコード設立記者会見で、細野はイエロー・マジック・オーケストラの結成を発表する。

だがこの時、メンバーについて具体的な構想はなかった。

その後、高橋幸宏、坂本龍一が正式メンバーとなり、1978年に3人によるYMOがデビューとなる。

3人の邂逅(かいこう)については後述するが、こうしてできたYMOが新たなる音楽シーンを作ることになる。

YMOデビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』は出足こそ売り上げ不振だったが、ワールドツアーで世界から注目され1980年に日本に〈逆輸入〉される形で大ヒットに繋がる。

文化人類学者の中沢新一がネパールで修行中に露店で入手したYMOのカセットテープを、どこの国のアーティストかわからず聞いていたという現象にも及ぶ。

中沢新一のエピソードの真偽のほどはわからないが〈汎世界的〉という細野と村井の構想が成功したことを裏付ける逸話だと言える。

次回更新は3月31日(火)、20時の予定です。

 

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