【前回の記事を読む】どうしてYMOはこんなにも、多くの人に受け入れられたのか? ニューウェイヴの潮流を読み解くカギは〈ポップ〉にある

INTRO

芳醇で濃密な文化の土壌があった時代

そして最後の要素は、〈ポップ〉は〈ポピュラー(大衆向け)〉というストレートなもの。

これはポップカルチャーを論じる上で欠かせない要素であるが、この要素が巨大になると、ほかの3点の要素とパラドックスを生じる可能性がある。

あまりにも大衆化が進めば、そのポップカルチャーが持つ先進性や芸術性などの本質が失われる(隠蔽される)。

サブカルチャーとマスポップカルチャーをまたがる(重なり合う)領域で展開していったのがニューウェイヴ・ポップカルチャーなのである。

本書では1978年~1984年を〈サブカルチャー〉が〈ニューウェイヴ・ポップカルチャー〉に変容していった時代としてとらえ、その特異性を実証していく。

その後、ニューウェイヴ・ポップカルチャーは徐々にメインカルチャーに包括される形で、1985年頃以降は単なる〈大衆的ポップカルチャー〉という意味合いに変わってきたことも検証していく。

DiscI YMOバイオグラフィー

1980年に〈サブカルチャー〉はいかにして〈ニューウェイヴ・ポップカルチャー〉へと変容していったのだろうか。

70年代までのサブカルチャーはあくまで下位文化であった。ところが、数多(あまた)あるサブカルチャーの中から、新しくてオシャレであるものを見つけ出し、いち早く取り込み、周囲に拡散していくムーヴメントが起こる。

その先導となったのがサブカルエリートだ。サブカルエリートは集団ではなく個である。

時代を先取る敏感なアンテナを張り、音楽であれファッションであれ、新たな潮流を発信し、またその潮流を見出す。

それを周囲に拡散(音楽であれば、カセットテープを渡して聴いてみることを勧めるとか、ファッションであればその衣服をまとい周囲から興味を持たれるとか)することで、「あの人って時代に敏感でオシャレ」と羨望される個人である。

時代の最先端の送り手や受け手として、誰よりも早く発信、受容して拡散する若者がサブカルエリートである。注目したサブカルチャーがマスになる頃には、サブカルエリートはすでに次なるニューウェイヴとなりうるサブカルチャーを発信し、受容・拡散していく。

その循環は、凄まじいまでにスピーディーになっていく。

サブカルチャーの創り手は1980年前後から変化していく。〝他人に理解されなくても構わない〞創り手は時代に取り残されサブカルチャーのまま発信し続ける。

ところが〝わかる人にはわかるオシャレでポップなサブカルチャーなので、いずれマスに受け入れられる〞ことを期待するサブカルチャーの創り手が現れてくる。

こういったサブカルエリートが発信するのがニューウェイヴ・ポップカルチャーである。

その先駆者となったのがYMOなのである。