不自然に自分を見ていたのは「残業する」と言おうとしてタイミングを計っていたのだ。言おうとしたが簡単に言葉にならず、何回も呑み込んだのだろう。その心中を推し量ると新島は胸が熱くなった。デリケートな状況である。

できるだけ自然に応対しよう。

「助かります。そうだ帰りは送っていきますよ、一緒に帰りましょう」 

「ウン」

「残業が終わったら現場事務所で待っていますからね」

「ウッ」

一緒に帰ろうという提案を拒否しなかった。良かった。しかしこれで終わってはもったいない。黒沼が戻ろうとするのを引き留めた。

「渡辺班長に残業するって直接伝えてもらえないかなー。だって直属の上司だし、渡辺さんも喜ぶと思うよ」黒沼が頑張って越えてきたハードルなのに、さらに新しいハードルを作ろうとしている。

──ごめんなさい──

しかし、残業をすると黒沼の口から渡辺に直接伝える、それは今後の黒沼の立場を考えると絶対必要なことなのだ。

「ダメかな? 一言だけでいいのだけど」

当惑していた黒沼だがわずかに頷いた気がする。黒沼は不決断に踵を返した、その背中を見送っているといきなり近藤に声を掛けられた。戦闘態勢に入ったドスの効いた声だ。

「大丈夫っすか?」

近藤はどこからか黒沼と対峙しているのを見て、飛んで来たのだ。心配してくれている。

「この前の第二工場の事件、捕まりましたよ」

「えー、犯人は? 会社の人間?」

「もちろん会社の人間です。俺の睨んだ通りでした。あの日から休んでいる奴がいて、当たりはつけていたようです」

「でも何で?」

「恨みです。ボーナスが悪かった奴が上司を恨んでやった。警察沙汰にはしないけど首だって」

「なるほど……それで今の時期と言ったのですか」

「わりと多いのです」

新島を心配する近藤が、少しだけ良い人に見えた。

次回更新は3月26日(木)、20時の予定です。

 

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