洗浄機で起こっていることを明らかにしなければならない。避けては通れない疑惑があり、その中心に黒沼がいる。黒沼を知らなければならない。

千葉さんに話を聞きたいが、わざわざ呼び出して聞くというのも配慮に欠ける気がする。大胆な行動がとれない自分の小ささを感じながら、新島は町の地図を広げている。山道を深く入り込んだところに正森集落を見つけた。

──ずいぶん深いな。黒沼はここからバスで来ているのか──

調べてわかったことだが、黒沼は工場近くの油沢というバス停で降りる。そこから二十分ほど歩いて通勤しているようだ。ならば歩いている黒沼を途中で拾って、車で一緒に出社できないかな。仲良く二人で出勤……。一瞬考えたが絵空事の気がして、すぐにその考えを捨てた。有り得ない。

七月十五日早朝、思いがけずに一度捨てた有り得ない状況がやってきた。小雨の降る中、黒沼が傘も差さずに前方を歩いているのを見つけた。

結婚式で引き出物を入れるような大きな紙袋を下げ、それに雨粒が入らないように気にして歩いている。車に乗せたいが乗ってくれるかな、嫌がるかな、断られるかな、一瞬のうちにいろいろな思いが行き来した。

自然に振舞おう、自分に言い聞かせて小川田橋の袂で車を止めた。

「早いですねー。乗っていきませんか?」

黒沼は上体を引いて棒立ちになっている。新島は委細構わず助手席のドアを開けた。黒沼は逡巡したが黙って乗り込んでくれた。

上手くいったが調子に乗ってはいけない。デリケートな状況なのだ。新島は工場の駐車場に着くまで無駄口を控えた。駐車場に入り山側に車を止めると赤ペンキで書かれた看板が幾つも目に入ってくる。マムシ注意!

「マムシ、本当にいるのですか?」

「イル」

初めてこの人の声を聞いた。簡単だが会話が成立したことが嬉しかった。

「私、新参者だからいろいろ教えてください」

黒沼の返事はなかった。

新島のデスクはもとより現場事務所にはなく、部長たちのいる事務棟に在る。現場事務所にあるのは係員共用の大テーブルと給湯器、そして自販機のみだ。

事務仕事は自分のデスクでする、それが合理的なのだが新島は自分のデスクにほとんど座ることはない。現場事務所が妙に落ち着くのだ。そして今も大量の過去の資料を抱え込んで現場事務所にやって来た。

テーブルの椅子に座るとコップ花瓶が目に入ってきた。今日は黄色い花。道端でときどき見かける名もない花、小さな野の花が一輪。おそらく千葉さんが置いてくれたものだろう。殺伐とした案件を抱える新島にはこのようなさりげない気遣いが嬉しい。

次回更新は3月24日(火)、20時の予定です。

 

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