由香里によると、副院長は子どもの患者に、「ちょっとだけ痛いけど、がんばろうね。我慢できないときは無理しないで左手を挙げてね。すぐ止めるからね」と温かい言葉かけをしながら治療を進める人で、付き添ってきた保護者への説明もわかりやすく丁寧。

彼女は、自分が子どものころ、こんな先生に治療してほしかった、と思ったという。育ちのよさからか、態度もいつも紳士的で、由香里を大切に扱ってくれた。難をいえば、いつもそつがないので、心の奥で何を思っているのか量れない感じがしたことだという。

「でも、私の方も自分の気持ちをあんまり正直に話したりはしなかったので、お互いさまだったのかも……」といっていた。

やがて結婚へと話が進んだが、由香里は何か燃えるような恋愛感情を覚えていない自分に「こんなんで結婚していいのかしら?」と不安もあったという。従姉妹に相談したが、「由香里ちゃんの性格からして、そういう激しい恋愛はしそうにもない気がするよ。

なんていうのか、男の人を見る目が冷めてるでしょ? あたしなんか、惚れっぽくて、好きになったら、二十四時間一緒にいたいと思うけど、由香里ちゃんはその辺、淡々としてる。別にどっちでもいいんじゃない? 人に個性があるんだから、恋にも個性があるんだよ」と話したそうだ。

たしかに美しい由香里は、男性に対して警戒心が強かった。父親の視線のこともあり、男性の気を引くような言動は極力避けて生きてきた。副院長とは一緒にいると安心できるし、いつもどこかで自分を見守ってくれているような温かさを感じていた。

結婚の動機として、それで十分なのだと自分にいい聞かせた。

医院の裏手に自宅があり、広い敷地に院長夫婦とその妻の独身の妹が、瀟洒な洋風の家に住んでいた。

隣に、長女家族が母屋の三分の二ほどの大きさの家を建てて暮らしていた。長女夫妻はともに弁護士である。多忙でめったに顔を見なかった。

年中とまだ二歳の子どもがいて、保育園に預けていたが、ベビーシッターと家政婦も雇っており、夕方、二人の子を連れて帰宅してくるのはほとんどベビーシッターだった。そういう子育ての仕方に院長の妻は反対したが、長女は自分のやり方に確信があり、母親の意見はきっぱりはねつけられたようだった。

次回更新は3月19日(木)、21時の予定です。

 

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