【前回の記事を読む】武司は剣術を続けることに充実感を覚えていた。だがそれは昔憧れたものと全然違う感情だった。補欠決めの試合でライバルが...
海底農園
三
試合の序盤は武司が優勢であった。体格では圧倒的に不利であった武司は、長年の経験で培った技術で上手く戦っていた。「君は相当不器用だな。でも器用なことができないからこそ基礎を大事にした真っすぐな試合ができる。あとはそれを君自身がどこまで信用できるか、どこまで信用できるようにするか」
武司が圧倒していたわけではない。亮も体格を生かして力で武司を捻じ伏せていき、接戦まで持ち込むも、師範が常に仰っていた言葉を胸に冷静さを保ちながら、取られたら取り返す展開であった。
一寸の混じり気もなくその展開は終焉に到達するものだと誰もが思った。無論武司も例外ではない。然し、終盤に差し掛かり、その期待は切り裂かれることとなる。力だけで押しているように見えた亮から起死回生の大技が飛び込んできたのだ。当然予期していない事態に武司が対応できるはずもなく、清々しい程にその一撃が脳天に飛び込むのを許してしまった。
一瞬の静けさが晴れ、辺り一面に歓声が響き渡った。その轟音が武司の脳内を霧払いし、目の前で起こった事態を理解させた。但し、周囲は敵ではない。まだ時間はあるから落ち着いていけ、着実に取り返すぞ、と武司を救わんとする助言が飛び交う。然し、当人はあくまで事実を認識したに過ぎず、それ以上の思考を巡らせる余裕など微塵もなかった。
皆の眼には冷静さを欠いた武司が何もできないまま、試合が終了する光景が共通して佇んでいた。然し、武司だけは違う空間にいた。寧ろ存在していたかも明白ではない。何も分からないのにも拘わらず、或いは分からないからこそ言葉にするのならば虚空への扉を開き、無に近い暗闇の中を彷徨っていたとでもいうのか。
我に返ったとき、僅かばかりも感情を読み取ることを許さない表情をした師範の
前に立っていた。いつも通りの冷静な口調で呆然とする武司に言葉を贈った。
「君らしさが出た良い試合だったと思う。だが、気持ちで負けていた。今日の悔しさを忘れず、自分の形を確立させなさい。そして勝ちに拘りなさい」
目標もなく、ただ黙々と父に迫られるがままに稽古をしてきたとはいえ、長年続けてきたことで人並みの自信があった。然し、それは井の中の蛙であると気付かされ、目標を持って猛烈な稽古をこなす先輩に負けることは武司の心を刺激した。
一方で始めて間もない同期になど負けたくなかった。ましてや負けるはずもなかった。然し、生まれ持った才能と偶然放った一撃に負けた。その事実は完全に武司の心を折った。自分の才能は続けることだけ、勝ちに繋がるものでもなかろう。師範の言葉を杖として立ち上がる気力などなかった。徒に稽古を続ける今までと何ら変わりない日々に戻った。