第五話 近世外科の開拓者パレ
―「教条」から実証的な医療へ―

それは16世紀の戦場で始まった

16〜17世紀の西欧はカトリックとプロテスタントとの宗教的対立に各国の利害が絡まった三十年戦争をはじめ、各地で戦乱が続いていました。

戦争の形態が鉄砲や大砲による集団的なものとなり、戦傷の状態も大きく変化してきました。かつての刀槍や弓矢による傷よりも、治りにくい傷が増えたことが「火薬の毒」によるものと考えられたことは、第4話で述べましたが、当時の医学では毒を消すには高熱が必要であるとされていました。

具体的には、鉄砲の鉛弾や大砲の破片による傷口には、沸騰した油を注いで毒を消すことや、止血のために焼き鏝(ごて)で焼灼(しょうしゃく)する処置などが、負傷者を救命するための鉄則となっていたのです。

1537年のある日、フランス王国軍のイタリア侵攻に軍医として従軍していた床屋医者アンブロワーズ・パレ(1510‒90、図5-1)は、トリノでの激戦で生じた多数の負傷者の手当に追われていました。

図5-1 アンブロワーズ・パレ

「火薬の毒」を消すために煮立てておいた油をすっかり使い果たしてしまったのに、まだ3人の負傷者が残っています。

困った彼は、調理場へ行って卵と食用油を手に入れてきて、卵黄を油で練った冷たい軟膏(塩と酢を加えればマヨネーズですね)を作り、それで傷口を覆っておきました。

「気の毒な兵士たちは『火薬の毒』で死んでしまうだろう」と、その晩は不安でまんじりともできなかったと、彼は日記に書き残しています。

ところが、翌朝早くにパレが野戦病院を訪れてみると、煮立てた油で処置した負傷者たちが発熱して痛みに苦しんでいる一方で、彼が即席の手当をした3人は、はるかに元気で痛みもずっと軽いようでした。