壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事
(7)
「ほんとかい? あたしの知り合いで、あんたを見たっていう人がいるんだけど」
「見まちがいでしょう。あのへんはガラが悪いし、うっかり足をふみ入れようものなら、せっかくの売り上げをごろつきにまきあげられるかもしれないじゃないですか。湯師(タン)兄に怒られるようなことは、しませんよ」
「そうかい」
おだやかな口とはうらはらに、眼睛(まなこ)は、たえず猜疑に光っていた。
段惇敬(トゥアンドゥンジン)にも問訊された。
「……最近、妙な商人に会わなかったか?」
「となりに屋台を出しているおもちゃ屋とは、ときどき話をしますが……」
「客足が一段落して、ひと息ついているときなど、ものを売りつけて来るヤツがいるだろう?」
「いますけど……むこうから声をかけてくる物売りは、たいていぼったくりだから、相手にしません」
「玉(ぎょく)の細工だとか、毛並みのいい羊だとか、高価なものを売りたがる商人に接触したことはないか?」
「そんなもの、欲しいと思ったこともありませんし」
うす笑いを浮かべた精悍な顔が、ぐっと近づいて来た。
「人売りには、会っただろう?」
私も、きっぱりと答えた。
「いえ、会ってません」
「噓をつけ」
「噓なんかついてません。こっちはしがない麵売りですよ」
「しがない、だと?」
「気にさわったら、すみません。私が申し上げたかったのは、そんな高価なものを扱う商人なら、もっと金をもっていそうな人を選ぶんじゃないかということです。漁門なら、私ごとき末端の麵売りに売りつけるんじゃなくて、直接、漁覇翁(イーバーウェン)様のもとへ行ったほうが」
段惇敬(トゥアンドゥンジン)が、めずらしく口角をもち上げて、にやりと笑った。