このような人とは初めての出会いであった。タイムスリップして軍隊に入隊したかのようであった。そのとおり、「我が校の寮生活は海軍兵学校式に準ずる」と衝撃的な言葉が発せられ、全身に緊張が走った。もう戦後30年近くになるのに、このような人間が存在していたのか? つい5年前に歴史学者になりたいと夢を語っていたのに、15歳で軍隊に入隊するのか?
一方で、国の為に「特攻」などで命を懸けた尊い御霊に対して畏れ多く感じていた私は、時代錯誤とはいえ、校長の教育方針なら仕方がないし、逃げるわけにもいかないし、ここで生きていくしかないと腹を決めたのであった。
入寮式は、もっと激しかった。高橋校長の信奉者である鬼軍曹のような先輩方が前に陣取っていた。点呼があって名前が呼ばれた。何度も返事のやり直しが行われた。
「気を付け、直れ、並べ」の号令の下縦横寸分の狂いなく整列させられた。そこで登場したのが、最初に対面した大男の「チャン」と呼ばれる渡辺舎監であった。
想像だが、軍隊でいうと小隊長で階級は少尉(自衛隊では三尉)位であったと思う。この人も校長と同類であった。声がでかいし体がデカいし、優しそうに微笑むと余計に怖い。とにかく今まで接したことのない人たちであった。
具体的な説明は、寮長が登壇して、寮生活のルールが発表された。そのハードな内容に耳を疑った。まず起床6時、洗面後15分で上半身裸で体育館集合、晴天時はランニング4km、寒い雪の日も走る。
雨天時は腕立て伏せ、スクワット、腹筋をそれぞれ 100回というメニューだった。これが嫌で中学で部活に入らなかったのに、「逃げたらいつか必ず追いかけてくる」、人生というのは課題をクリアしないと先に進めないということが教訓となった。
その生活に慣れるまでは、疲れすぎて朝食ものどを通らなかった。しかも、登校までにもう一仕事があった。掃除と部屋の整頓、特に毛布のたたみ方は独特であった。端と端をきれいに揃えて薄くして積んでおくという決まりであった。
登校後に部屋の点検があり、一人でも不合格なら連帯責任となった。この連帯責任という考え方が社会人になった時に役に立った。
消灯は午後10時、学習室は12時迄、風呂は15分、テレビは9時迄、それから階段は二段ずつ上がることと、洗濯は洗濯機の時代に洗濯板で手洗いすることが課せられた。
夏はいいのだが冬は辛かったことを覚えている。階段二段上りは合理的であったが、その意図は分からなかった。食事は、質素でとんでもなかった。弁当などは、ご飯が腐りかけていて、食中毒スレスレ状態の時もあった。とにかく、食事の文句は言わないことと、食べ物を残しては「もったいない」というのが当時の考え方であった。
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