金子堅太郎(かねこけんたろう)男爵(訳注:後伯爵に陞爵)はその年の四月にハーバード大学の日本クラブで演説を行い、日本はアジアの平和を維持し、東洋における英米文明の影響力を擁護するために戦っていると述べた。
海軍大将東郷がロシア艦隊を破り、旅順の長期にわたる占拠は英雄乃木への降伏で終わりを告げ、日本軍は総力を挙げて奉天(ほうてん)での最後の戦いに挑み、ロシア兵の満州からの敗走をもって戦争は終結した。
ニューハンプシャー州ポーツマスにおいて調印された平和条約により、両国とも満州から撤退することを条件に日本は旅順口区とサハリン島(訳注:樺太)の半分を確保した。韓国に対する保護関係はそれ以来統治権となった。
日本の総督寺内正毅(てらうちまさたけ)伯爵は力量があり有能な人物で、彼の統治下において韓国ではさまざまな改良が行われた。
正直なところ、これは現地人と征服者の間の軋轢が全くない状態で行われたわけではないが、結果は実に目覚ましいものであったと言わなくてはならない。政府が再編され、裁判所が設立され、法律が改正され、景気が改善して商取引が増加した。
農業は実験場の開設により奨励され、鉄道は内陸から海岸まで敷設され、港湾は浚渫(しゅんせつ)され、灯台が建てられた。日本の韓国における出費は年間千二百万ドルに上った。
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