【前回の記事を読む】壊れた帽子を被っていると罰を受ける!? 数世紀前の韓国は皇帝の命令で、男性は〇〇を被らなければならなかった
第一章 遠いかなたの日本
周知のごとく、韓国は極東で最近勃発した二つの激しい戦争に巻き込まれた。日本は韓国を余剰人口のはけ口、食料の供給源、そして自国製品の市場として必要としていたが、それ以上に侵略するロシアと自国との間に立ちはだかる強国として必要としたのである。
十九世紀最後の十年間においては、「隠者の王国」は未(いま)だ中国の宗主権下にあり、その政府は脆弱で、救いようもなく腐敗していた。
日本はこの中国の専制を認めず、韓国政府は改革されなければならないと主張した。中国はこの変革を援助するよう求められたが、関わることを拒んだ。中国も日本も譲歩する気はなかった。
最終的に韓国は中国に出兵を要請し、それで日本は王宮を攻撃した。鴨緑江(おうりょっこう)の河口で大きな海戦が行われたが、この戦いで中国が敗れ、五隻の船が沈没した。
日本の軍隊は大連と旅順口区(りょじゅんこうく)を獲得した。もう一つの海戦では中国の艦隊が降伏し、海軍大将が自害した。かつて東京での昼食会で一度会う機会があった東郷平八郎(とうごうへいはちろう)と山縣有朋(やまがたありとも)、そして乃木希典(のぎまれすけ)はこの戦争のヒーローたちの一員である。
下関条約によって、一八九五年に中国は日本に賠償金を支払い、韓国の独立を認めるとともに、旅順口区、遼東半島、台湾および澎湖群島(ぼうごぐんとう)の島々を日本に割譲した。この条約が締結されるや否や、西欧列強は日本に遼東半島を中国に返還することを認めさせた(訳注:仏独露三国干渉)。
しかし数年のうちにロシアは遼東半島の租借権を得たが、他の列強諸国は何も異議を唱えなかった。ロシアはやがて満州に巨額の投資をし、満州鉄道を敷設して旅順口区の防備を固め、海軍基地とし、中国東部鉄道を鴨緑江と韓国まで延伸した。さらにハルビンを軍事基地にして満州一帯に兵士を配置した。
日本は通商の自由を守るだけでなく、国家としての存続を守る必要に迫られた。なぜならば、ロシアは満州の地の利を生かして韓国の北西部国境に位置する鴨緑江流域を占拠し始めていたからだ。一旦この区域がロシアの勢力下になると、朝鮮半島を通過して狭い下関海峡を渡り、列島帝国自体に南下するのは容易(たやす)いことである。
日本はロシアと交渉しようとしたが、無駄であった。いろいろな言い訳で日本は何か月も待たされ、その間ずっとロシアは戦争の準備を進めていた。
最終的に日本国外務大臣小村寿太郎(こむらじゅたろう)男爵(訳注:後侯爵に陞爵(しょうしゃく))の命令で外交関係が断絶され、一九〇四年二月十日に宣戦布告された。