【前回の記事を読む】救急車の音が聞こえた翌日、202号室の前で手を合わせた。その人が部屋で亡くなる前、私はひどいことを言ってしまった。
夜空の向日葵
「もらっていただけると、母も喜びます」
「でも、私、不知火さんにひどいこと、言っちゃったんです」
誰かに、自分の酷さを聞いてもらいたかった。
「乾燥機の設置をお願いされたんですけど、そんなの無理ですって。いろいろ頼まれても無理ですって、最後に言ってしまって……」
「いいえ、母はいつもあなたに感謝していました。亡くなる前、電話で話した時だって、あなたに乾燥機の設置は業者に頼んだ方がいいってアドバイスを受けたって言っていましたから」
息子さんの顔をまともに見ることができず、私は下を向いた。どこかで、コンクリートの地面の上を、空き缶が転がるような高い音がした。
「もらってやってください。電動自転車」
缶を誰かが蹴るような音がして、どこかに派手にぶつかる音がした。しばらく、その音が耳の中でリフレインした。
その音が耳の中からすっかり消え去るのを確認すると、私は顔をあげて、息子さんの顔を見た。息子さんは、最初と同じように、やはり目じりにしわをたたえて穏やかに微笑んでいた。
「本当に、いいんですか?」
「もちろんです」
ありがたい申し出だった。電動自転車があれば、坂道だって楽に上ることができるだろう。ほしいと思ったことはあったけれど、高額な故に検討すらできなかった。
それは、ごちゃごちゃと置かれている古い自転車の中の、比較的新しいものだった。電池のセットの仕方や、乗り方の説明を受けると、鍵を受け取った。鍵についている手鞠型の鈴は、揺れるたびに伸びやかな音をたてた。
この音を聞きながら、不知火さんは自転車に乗るのを楽しみにしていたのだろうと思うと、胸のどこかがきゅーっと絞られるような痛みを感じた。