心の柱
これまでにいろんな人から相談を受けてきた。
初めは「私に聞いても……」と思っていたが、今では悩みを抱える相談者が前を向けるようになるところまで付き合うことができるようになった。おそらくこれは自分自身の経験がそうさせているのかもしれない。
私は昔から夢を語ることが好きだった。プロ野球選手になる前から、周りの人間にあたかも自分がそうであるかのように語る。半ば強制的に自分の言葉で人生のレールを敷いた。言霊の極みとも言える。
そんな私の言葉に、初めは笑っていた人間たちも徐々に真に受け始める。疑心がいつの日か応援に変わり、残す結果に私の言葉を認めざるを得なくなった。後に「本当にそうなるとは……」そんなことを言われることとなる。
だからと言って、そんなことが相談事を受け答えできる理由なわけではない。プロ野球選手になるという夢を叶えたその後に、その倍以上の辛い経験をしてきたからである。
自分の夢ばかりを追いかけていた無垢な時代から、人間の欲望、人間の煩悩が気になり始め、自分を見失った暗く長いトンネルのような時代。地の底に居るような日々を過ごし、身動きのとりづらい泥の中で、その環境での生き方や抜け出し方を学ぶ。
自分の中で少しずつ積み上げていった心を支える方法。自らで作り上げた生き方。自らの在り方、スタンス、姿勢、考え方、心得。そんな経験が現在、当時の自分と同じような悩みを持つ人へのアドバイスに繋がっているのである。
「自己中心的」な考え方。ひと昔前ではグループの中にいると嫌われてしまう存在。「自己中(じこちゅう)」だと陰で悪口を言われたものである。だからこそそんな生き方は「悪」とされ、当然、悪い意味で浮いた存在として目立つこととなる。
しかしながら私は思う。自己中心的でない人間を見たことがあるだろうか。生きとし生けるものは皆、最終的な判断は自己中心的であり自分の都合を優先する。自己中心的な生き方ができなければ息苦しく辛い生活を強いられるわけで、自己中心的な生き方こそ楽な生き方ではないだろうか。
自己中心的という自然を、辛くしているのは世間である。
自分を中心に世界は広がる。そんな世界を変えるのは自分次第であり、決して他人の力では決まらない。その世界を自分で生きやすく作り上げるのである。生きやすい世界の作り方は自由であり、時に運命的に決定するものもある。
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