当時、私たちが住む住宅地の西側は商店街や駅などがある市街地だったが、東側は山を切り崩しただけで放置されたままの未開発の地域だったことから、子どもたちが探検するには絶好の場所がたくさんあった。

ノンコと私は、わくわくするような探検気分を共有しながら、その未開発の場所を散策したものである。日曜日の午前は、絵画教室で一緒に絵を描き、午後は裏山へ出かけたり、時には空き地でバドミントンをしたりして遊んでいた。

今思うと、両親に嫌な部分があることにも気づくことなく、ノンコと無邪気に過ごしていたあの頃の私が、一番幸せだったのかもしれない。

五年生になる時に、ノンコとは別のクラスになってしまったが、相変わらず二人とも絵画教室に通っていたし、学校でも、五年生の一年間は同じ絵画クラブに所属していたので、クラスが違っても、ノンコとの付き合い方に変化はほとんどなかったと思う。

けんかをすることもあったが、本当の意味で良い友だちだったし、ノンコは、私にとって一番の親友だった。

しかし、母はノンコのことが気に入らなかったようだ。五年生の時だったか六年生の時だったか忘れたが、家庭訪問で担任の先生が家に来た時に、母が先生にノンコのことをしきりに尋ねていたのを覚えている。

 

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