まあー、なんと! 吃驚仰天(びっくりぎょうてん)(非常に驚くさま)であった。

なにもみえなかった事物の根源の国は、人間、いや、神々で混雑しているではないか! 透視してみると、なにかの選別(せんべつ)(選び分けること)が行なわれているようである。

十七、

よくよく透視してみると、

人間(地上界)から戻った神々(人々)の、天上にとどまる居場所(いばしょ)(住むところ)が、実相の鏡を持った、この国の役人によって、決められている。

実相(真実の姿─地上界)は、真実(神─天上界)を知ることができるが、逆に、真実(神)も、実相(真実の姿)をみることができる。

──これを応用したのが、実相の鏡である。

さて、その選別とは、転生のない根源の国にとどまる神々と、転生のある伊弉諾の国に移る神々とである。

真実の人間(実相)は、神(真実)の姿である。しかし、半霊体(正欲)・半肉体(貪欲)の人間には、真実から離れる人間、すなわち、虚妄(こもう)(真実ではないこと)の人間もあらわれる。

肉体の根源には、貪欲(どんよく)(むさぼりの心)という、霊体を衰退させる業(わざ)(おこない)が、潜んでいる。この業が、虚妄の人間を生む機縁(きえん)(きっかけ)となっている。

この業は、天上では、通用しない。そこで、人間は、いったんは、霊体として天上に帰るが、転生を必要とする霊体もあることになる。

その見極(みきわ)めが、根源の国で行われていたのである。

見極めを主宰(しゅさい)(全体をとりきめること)される神が、くにのとこたちの神、見極め後に、根源の国にとどまる神々を主宰されるのが、とよくものの神である。

根源の国にとどまる神々は、二度と地上界にあらわれることはない。安楽の国である、この国に安住し、その後、虚空に帰ることになる。

そのなかに、素の神は、稗田阿礼のこと、我の神の端正(たんせい)(きちんとしていること)な姿を見いだしていた。

素の神は、二神のまします山々を、尊崇の念を込めて、あらためて、拍手(かしわで)を二度うって、二礼し、遥拝をしたのであった。

 

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