武田の敗残兵の中には織田の残党狩りを逃れ、武蔵国(むさしのくに)八王子に落ち延びた者が多くいた。その中には武田信玄の娘・松姫もおり、逃亡する時に四人の子供たちを託されていた。

松姫をはじめ武田の旧臣は八王子城主、北条氏照の庇護を受けることができた。

その後、北条家は豊臣秀吉が発した「惣無事令(そうぶじれい)」に反する名胡桃城(なぐるみじよう)事件を起こし秀吉の怒りを買った。これは北条氏が真田氏所領の名胡桃城を奪う事件であり、この事件を契機に秀吉から小田原征伐を布告され降伏した。小田原開城後、北条家四代当主・氏政、八王子城主・氏照は自害を命ぜられた。八王子城はその後、廃城となった。

徳川家康の治下に入り、家康は武田の遺臣を武士団にまとめる役を、武田家に縁を持つ大久保長安に命じた。武田の旧臣たちを松姫の住む周辺に住まわせ千人同心と言われる組織に育てた。松姫は千人同心に守られながら家康の保護を受けて姫君たちを養育し成人させた。

そうした背景があり、茅根は赴任した時から尾張の歴史に興味を抱いていた。白川と知り合ったのをきっかけに「史跡探訪集いの会」に入会したのも、何よりもまず武田家にゆかりのある長篠合戦の跡地に行ってみたかったからだ。

茅根が歴史博物館の訪問時にそのことを白川に話すと、たまたま次回は長篠合戦の跡地の見学ということであった。茅根は小躍りした。

白川は長篠合戦の設楽原が史跡探訪の中で関ヶ原の史跡探訪に次いで人気がある理由を説明した。

「戦国時代も佳境に入り関東・越後・東海では、東海には相模・駿河も入れてですけれど、織田信長、徳川家康の新興勢力が台頭してきました。それまで名を轟かせた武田信玄、上杉謙信、北条氏康などの武将たちは年齢的に見ても旧勢力になっていきます。

長篠合戦は新旧世代の最初の鍔迫(つばぜ)り合いでした。尾張・三河ではこれ以降、三傑の躍進が始まるわけです。関心度が高いんですよ」茅根は白川の説明に納得した。

見学当日の参集場所は、毎回名古屋駅構内にある時計台と決まっていた。当日の朝、茅根が到着すると、白川は「史跡探訪集いの会」と書かれた小旗を持って立っていた。ストレッチパンツにジャケット、歩きやすそうなシューズを履いた軽快な出で立ちだった。白川のそばにはアシスタントとして参加する博物館の職員・井上さんがいた。

参加者はすでに数人寄り集まっていたが、若者の姿はなく、中年過ぎの歴史ファンばかりだ。背中にリュックを背負った年配の女性もいた。茅根が白川に近づき朝の挨拶をすると、白川は喜びの表情をしてくれた。参集時間の九時になった時には参加者十三人全員が勢揃いした。

 

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