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第二章 分岐点
茅根は名刺を見てある記憶が蘇った。「郷土の歴史案内」の執筆者名だった。茅根は市の広報誌に毎号掲載されるその記事を、地元の歴史を知る意味でも毎号愛読していた。それを白川に言うと彼女は顔をほころばせた。記事の欄外には「史跡探訪集いの会」を開講する募集案内が記されていた。
茅根がそのことを話すと、「入会大歓迎ですよ、今度ぜひ歴史博物館を訪ねてください」と誘われた。場所はここから歩いて三十分かからないという。
博物館では尾張の歴史の常設展はもとより特別展などのイベントも開催しており、学芸員の研究をはじめ資料の調査・収集・保管には定評があった。由緒ある旧家の蔵から出てきた古文書の解読依頼は論文発表の機縁にもなっているほか、その他郷土史家によるセミナーも行っていたし、地元の新聞社が主催する郷土史のシンポジウムの計画にも参画していた。
白川は学芸員としての研究をする傍ら、博物館の市民教室で『尾張国風土記』や『信長公記(しんちょうこうき)』などの古文書や史料の講習会を定期的に担当していた。さらに博物館の課外授業にも参加していた。
いわゆるカルチャーセンターとしての出張講義はその一つで、中でも館外講習として行う城郭や古戦場跡のガイドは人気が高かった。史跡探訪は日帰りコースで設定されており、参加者は毎回定員十五名ほどに絞っていた。プロの学芸員が説明してくれる史跡探訪は天候にかかわらず参加者が絶えなかった。
翌月、茅根は歴史博物館を訪問した。白川はちょうど担当の講習会が終わったところで、退席する受講生で出口付近はざわついていた。白川は尾張の歴史に関する常設展示場を茅根と回り説明してくれた。一時間ほど観覧して、その日は「史跡探訪集いの会」の入会の申し込みを済ませて歴史博物館を後にした。
茅根の郷里は八王子市である。
八王子には戦国時代、小田原の北条氏が支城(しじょう)を設けていた。隣国甲斐は武田氏の支配領域であり、八王子城は北条氏にとって防衛上重要な拠点だった。その武田家は信玄没後、武田勝頼(かつより)が三河に侵攻、信長・家康連合軍を相手に長篠合戦に臨んだが敗退した。武田家はその後、凋落(ちようらく)の一途を辿り、信長の甲州征伐によって滅亡した。