【前回記事を読む】美大への憧れを捨てられず、保育士として働きながら通信教育で学んだ。卒業までにかかった年数は…
第2章 自身の歴史&考え方
「真っ白い紙」
美大を卒業したら、作家になれるのだ、卒業していないから、アーティストになれないのだというのは、ただの思い込みだったということが、卒業してわかったことです。アーティストになるには、自分磨きしかないことを、美大を卒業して学びました。学校というところは、今の自分自身から、違う世界を見せてくれる場所なのだと実感した10年間でした。
その頃、保育士の私が、学生証を持って美術館に学割で入れる特権もちょっと嬉しかったです。仕事も子育ても忘れ、真摯な学生になっているひと時でした。レポートの〆切がギリギリのために、夜中にポストにレポートを投函しに、出かけたのも懐かしい思い出となりました。その頃の自分磨きが、今もしっかり今の私自身を作っています。
一番学んだことは、必死にやり続けると、やりたいことができるということです。それが今も根っこの部分に流れています。どんなに大変でも、好きなことはやり抜けると思っていることかもしれません。
自分のお金でなら、自由に美大に通うことができると思って、仕事と子育てをしながら美大のレポートに明け暮れた10年でした。
しかし、そこで犠牲にしてしまったのは、家族かもしれません。子供たちは、私から、何を学び取ってくれたのでしょう? きっと、自己中心の母を見てきたことでしょう。必死な姿よりも、できないイライラを見せてきたかもしれません。良いことも悪いことも正直に見せてきました。
今になって思うことは、保育士の仕事は決して、私に合っていなかったとは思いません。公立保育士を定年の10年前に早く辞める決心をした時には、事前に母には伝えませんでした。反対されるのが目に見えていたからです。
勤務を終えるのは3月31日。母が知ったのは、3月26日、近所の知り合いからでした。母が激怒したのは、当然です。でも自分の意志を通したかったのです。気が付けば、私は、母にとってのいい子をずっと演じてきました。そんな私が、勇気を持って大きな決断をした瞬間です。母から見れば、いい子悪い子の悪い子ですね。