「羽島君(裕三の姓)、新入社員は他の誰よりも早く会社に来んといかんよ。そうすればなにか致命的なミスを犯したときでも周囲は毎日朝早くから出社している羽島君やからと許してくれる。そんなもんやで」もファーストアドバイスで、裕三はあくる日以降、忠実に毎日守衛と一番乗りを争うように一階のシャッターが開く時間、七時半には出社していた。
が、これは当時幅を利かせていた示談屋への応対を迫られるという望まぬ副産物も生んだ。
ある朝、出社し誰もいない静かな空間で前日の営業日報を記入していると、けたたましい音のノックとともに、裕三の返事を待つことなく、勢いよく上下白のスーツに白のエナメル靴の角刈りの男が「おはようございます。私は○○解放同盟摂南支部長の○○です。○○さんの代理で事故の示談交渉に参りました」と言葉遣いは丁寧だが威圧感たっぷりに目の前で大声でがなっている。
損害調査部か査定部の対応であろうが、あいにく八時半過ぎでないと出社してこない。
「申し訳ございませんが、弊社の営業時間は午前九時からとなっております」と留守番電話のような木で鼻を括ったような応答をした。
「ええで、ここで勝手に待たしてもろうわ」仕方なく応接に通して待ってもらうことにした。
ようやく出社してきた課長に顛末を話すと「ほっとき、やつらは九時からの営業なぞ先刻承知やで、嫌がらせや」と扱いに慣れているのか右往左往する裕三と違って肝が据わって歯牙にもかけない。
この手の示談屋が幅を利かせ、いわゆるエセ同◯団体は、保険会社にとっては暴対法もなかった時代、〇暴関係と双璧をなす巨悪な存在であり、対応に苦慮していた。
また輪をかけるように当時の大阪の治安は最悪であった。折も折、戦後最大のヤ◯ザ組織の抗争と云われた山一組抗争の真っただ中にあった。
繁華街ミナミにある浪速区の営業所の所長は「何時流れ弾に当たるか、もう生きた感じがようせーへんわ」と支店の営業会議に来るたびに嘆いていた。夜のミナミの街は灯が消えてしまったように人の姿はまるでなく、私服刑事と制服警官の姿ばかりであるらしい。
支店の営業課の同勤(どうきん)の上司岸本などは、ラグビーで鍛え上げられたがっちりとした体格のうえに、耳が潰れおまけに角刈りヘアで、長田課長から「あんた 絶対ミナミ行ったらあかんで、誤爆されるか職質の嵐に遭うで」と冗談とも本気ともつかぬ様子で注意されていた。