「こんな雨の日にお父さんのお迎えかな?」
疲れ切った体と心に、みよこの笑顔は栄養ドリンクのように染み渡り、体のあちらこちらの筋肉を優しく解(と)きほぐしてくれた。天使の笑顔を貰い体が温かくなった男はみよこに優しく話しかけた。
「うん、お父さんを待っているの」
父親がバスに乗ることは絶対にないと知っていたが、みよこの口から出たのは父親の帰りを健気(けなげ)に待つ可愛い女の子の台詞だった。
「そうか、お嬢ちゃん偉いね。じゃあ、お小遣いをあげようね」
その男はポケットに手を入れ、小銭を見つけ出しみよこに渡した。
「ありがとう」
噓をついたという気はさらさらなかった。みよこはその小銭を握りしめ近くの駄菓子屋に向かい、そこで菓子パンを一つ買い、あっという間にたいらげた。
雨の日にバス停に立てば大人からお金が貰える。それは百円にも満たないわずかな金額だったが、小さなみよこの胃袋を満たすには十分な額だった。
悪気のない方程式がみよこの頭脳にインプットされて以来、空腹に耐えられなくなるとみよこはバス停に立ち、どの顔も同じ顔に見える大人たちに微笑みかけて小遣いをもらい空腹をしのいでいた。
ある夏の日、その日も酔っ払いながら帰宅した父親にみよこは殴られていた。「痛い」なんて一言でも口にすればますますひどく殴られる。
それをいつの間にか習得していたみよこは、父親がひとしきり自分を殴り眠りにつくのを待った。夏の暑い夜だった。みよこを殴り蹴り飛ばし、出て行った妻の悪態を散々罵(ののし)った父親は、いつの間にかみよこの横で眠りに落ちていた。
パジャマなんて洒落(しゃれ)たものはない。その日着ていた洋服を着て寝ることが習慣となっていた。
みよこが現実の世界から遠のき楽しい空想の世界へ向かおうとしていた時、ガシャンとガラスが割れる音が耳のすぐ傍で聞こえた。何処か遠くの出来事かもしれないと思ったみよこは、少しだけ父親の背中にしがみつき次の音がするのを体いっぱいで待っていた。
すると、今度はもっと大きな音でガラスの割れる音がした。
酔いに任せて眠り込んでいた父親が飛び起き、みよこの方に向かって飛んでくるガラスの破片を腕で遮った。
「おい、そこにいるんだろう。出てこい」
声の主は思い切りみよこたちの部屋のガラスを割りながら、その割れる音にも負けないような大きな声で叫んでいた。
「みよこ、あっちの窓から逃げるよ」
父親には声の主が誰なのか見当はついていたようだ。
試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。