【前回の記事を読む】身元不明の遺体の捜査で「この女の子をご存知ですか」と顔のない写真を見せると、「もしかして、これは…」
赤い鞄
久しぶりの休日は、娘を連れて家族で動物園に行くことになった。外はまだ寒いが子供は寒さなんて感じないのか、娘の栄子(えいこ)は初めての路面電車の中ではしゃいでいた。
「栄子ちゃん、おとなしくして」
少しばかり神経質な妻の秀美(ひでみ)は、小さな声ではしゃぎ回る栄子を叱っていた。動物園の近くまで行くこの路面電車は家族連れで賑わっていた。
車内では子供たちが、ちょっとよそ行きの服装で運転手の所へ行ってみたり、親元へ駆け寄ったりと、栄子同様騒々(そうぞう)しく走り回っていた。その子供たちを縫うように、車掌(しゃしょう)が絶妙なバランスを取りながらゆっくりと歩いていた。
加賀たちの前に来た車掌は事務的に、
「大人は百円、お子さんは五十円です」
と揺れに任せ慣れた手つきで切符を切って言った。
妻の秀美が財布から二百五十円を取り出しながら、
「大人二枚、子供一枚お願いします」
と切符を買おうとしていた。
その時、車両の先頭にいた栄子が慌てて秀美の元へやって来て膝の上に乗りながら、
「私の切符は私がやるぅ」
と言い出し、秀美から小銭を奪い取るようにして小さな手に握りしめ、
「はい、五十円です」
と車掌に小銭を渡し切符をもらっていた。
「お父さんはこれね」
と大人用の切符を車掌から取り上げ加賀に渡した。この紙切れはどこかで見た覚えがある。
小さな紙切れ、五十円と書かれた文字。そうだ、みよこのバッグの中に入っていた紙切れと同じだ、と赤い鞄の中身が透視でもしたかのごとく鮮明に映し出されていった。
加賀はいつもあの写真を胸に入れていたが、今日は久しぶりの休日で家族サービスの日だ。こんな所であの写真を取り出すわけにはいかない。しかし、加賀の頭上にはまた白い紙切れがハラハラと舞い、見たことのないみよこの笑顔が絵本をめくるように頭に浮かび、楽しげにスキップをしながら遠ざかるのだった。
路面電車同様に動物園は家族連れで混み合っていた。
「さぁ、順番に動物さんを見に行こう」
久しぶりの家族サービスに気を取り直した加賀は、栄子の手を取り、猿の檻の前まで歩いて行った。
散々猿を見たので、
「次はライオンさんだね」と促す加賀に、
「ライオンさんは見ない」
栄子は眉をひそめながら答えた。
「どうして見ないの? せっかくだから見に行きましょう」
母親の秀美がせっついたが、栄子はしゃがみこみ動こうとしなかった。
仕方なく加賀が栄子を抱き上げライオンの檻の方に足を向けると、栄子は加賀の腕の中で暴れ始めた。
「いや~、ライオンさんにたべられる」
栄子の発した言葉を聞いた加賀はやっと合点がいき、妻の秀美も困惑しながら、
「栄子、大丈夫よ。ライオンさんは檻の中だから」となだめたのだが、
栄子の思い込みは大人たちの想像を超えるものがあり、結局猿やペンギンという当たり障りのない動物を何度も見て、加賀の家族サービスの一日は幕を閉じた。