JJの話によると、ホモ・サピエンスの知能はせいぜい現代の七歳児ほどのレベルらしい。記憶や推理、比較も不確かで粗く、だから問題解決の能力も低い。
「狩猟や採集をするとき、水場をさがすとき、獲物を運び火をおこすとき、そんな大事な状況で七歳児の知能を起動させていてもね、グズグズと下手すれば敵にパクリだ。その場面、その状況に特化したモジュールが独自に、即かつ強力にはたらき必要な仕事を処理していたんだよ」と断言する。
「《ゆい》さんも恐ろしい目にあったとき、意識せずに心臓がドキドキし、身体が勝手に硬直するでしょ。まあ、あれはその名残と思えばいい」
「ドキドキし、硬直するとなにがいいんだ?」
「ついには神経のリミッターが外れ、通常の数倍の力が出せる。火事場のなんとかね」
これ以外に歌うことも由来はモジュールで、太古は狩りの合図や士気の鼓舞に使われたのではないか、という。
「日本の『鉄道唱歌』も歌うからしぜんに長大な歌詞が口をつく。たぶん『古事記』も、アキレウスの活躍する『イリアス』も歌って覚えたのだろうね」
意識のないヒトという生き物が登場し、モジュールという能力で生きて行く。それがJJの描く二十万年前の心の舞台だ。おもしろいが、唯井にはこの舞台での日常や生活の現実感がまだ湧いてこなかった。
「いま言った狩猟、採集、水場、運搬、火おこし、それに石器作りに、それぞれ別々のモジュールがあったのかい?」
「基本、そうね。さらに〝危険の回避〟や〝蛇の顔の認証〟のように、大小様々なものが混じってたと考えられてるね」
なるほど。しかし考えてみれば、狩りのとちゅうで危険な目にあうことも。そのときふたつのモジュール同士はどうするのだろう。意識のないヒトは、ゾンビやフランケンシュタインよろしく、別々の指令でその都度ぎこちなく方向を変えるのだろうか。
「これは日々の生活の動きのなかで説明してもらわないと、どうもイメージが湧かないね」
それもそうだと顎でうなずき、「では《ゆい》さんのために、でも分かりやすく誇張してね」とJJは語りだした。