【前回の記事を読む】突然日本語で話しかけてきた牧師顔の男はループタイの飾りを見るなり二万年前の話を始めた
第一章 ナイロビ
その三 ホモ・サピエンス
ジョナサン・ジョイス、愛称JJは父が北アイルランド出身の英国人で、ロンドンで貿易の仕事を手がけた。そこでダブリン出身の医者の娘と結婚し、やがてジョナサンが生まれ一家はロンドンの郊外で暮らした。二十歳のときアメリカの大学に留学し、日本には考古学と心理学の調査研究で数年間滞在したという。
唯井のことも聞かれたのでこんどは正直に、いまは証券会社に勤めていて、今回は他の会社の連中と一緒に、視察と称する観光旅行だと話した。家族のことも簡単に話したが、これまでの失敗の経歴はもちろん伏せておいた。
JJはこのあと隣国タンザニアのムゴンガという遺跡に行くらしい。ナイロビから車で半日の距離だが、近くのイリンガ市までここから飛行機を使う。つまり二人とも時間待ちということだ。話が一段落し、せっかくなので唯井はこだわりが残る石器のことを再びほじくり出した。
「ところで大むかしの連中は、あれをどうやって作ったんだい」
「ああ、ハンドアックスね」と言って、ラウンジを歩くスタッフを目で追いながら、「《ゆい》さん、ギネス飲む?」とたずねてきた。スタッフは現地の黒人女性で、どうやら顔見知りのようすだ。
「まず大切なのは目利きでしょね」
JJによれば石器作りも人とおなじで、素材で決まるという。あとは石の両面を根気よく別の石や骨でコツコツと。ちから加減と角度を考え、交互に打ち欠き削る。でもわれわれが、手のひらサイズで左右対称の握斧を作れるかどうか。しかも、均質の厚みでするどい両刃のものになると、たとえ金属のたがねを使っても多くは途中で欠けてしまうという。
「オルドヴァイ遺跡のもので、ざっとまあ今から七十万年ほど前かな」と、ビールにかるく口をつけ、「さらに」とすこし熱をおびてきた。
「二十万年ほど前になるとわれわれの直接の祖先となるホモ・サピエンスが登場してね、石器もコツコツ削る石核から剥片(はくへん)に進化する。これはさらに難しいよ」
「剥片ってなんだ?」
「赤ん坊の頭ほどの岩を石のハンマーで上からガツーンとやるね」