【前回の記事を読む】七万年前、ホモ・サピエンスは“一撃で刃を生む技”を操った。現代人でも再現困難な石器術とは

第一章 ナイロビ

その三 ホモ・サピエンス

たしかに受験勉強の暗記も、あの法律の条文もそんな気もするが、

「それはわかったよ。でも意識がなければ、石器は作れても狩りはできないだろ」

「食べて生きて行くだけなら、もともと身体に備わった感覚や本能、それにわずかな知能さえあれば十分でしょ。サバンナのガゼルやヌーのようにね」

言われて唯井は思わず口走った。

「え、知能と意識は違うのか? 意識のなかで知能が働いているんだろ?」

「じつは違うね。その証拠に今のわれわれも、多くのことを無意識のうちにやってるね。ドアを開けるとき、靴を履くとき、なにか注意して行動してるかい? たとえば数学の問題を解くとき、意外だけどね、われわれは意識は使ってない。人工知能に意識が必要ないのと同じだよ」

JJは片目をつぶり、そうシニカルに言ってのける。

唯井の頭はさっきから混乱したままだ。石器を作り集団生活をするホモ・サピエンスは、意識のないゾンビのような生き物なのか。

「じゃあ、今のわれわれは? いったい意識とはなんなんだ」

JJはニヤリと笑った。

「ひとの意識というものは、じつに不可思議なものね。これをくわしく話し出すと、《ゆい》さんは帰国できなくなるよ」

意識ははじめに知能に「やれ」と、いわば働きかけるだけで、つかわれる知能のレベルや内容に係わることはなく、また思考や判断、理性とも別ものだ、という。

「分かりやすいのは自転車かな。いちいち漕ぎ方を意識しなくても乗れるでしょ? あるいは戦争。訓練でたたきこまれた人殺しの手順が、命令一つで無意識のうちに戦場で再現される。理性は思考は働かないのか働かせないのか、でしょ」

これは唯井をなかば納得させ、なかば一層混乱させた。今まで頭の中に整然とはまっていた心のジグソーパズルがバラバラと落ちてゆく。将棋は意識の極致だとも信じていたものが。

「分かったよ、知能や判断とは別だというのは、一応よしとしよう。それじゃあそもそも意識とは? 本来の役割は?」

帰国できなくなっても聞きたい気分だ。すると「一口でいうのは難しいね……」とつぶやき、「クオリアということば、知ってます?」とたずねてくる。

「ちょっと知らないな」そう答えると、やや間があって「では、クオリアから」と話し始める。

「これは脳神経科学の用語で、これ自体は別に難しいものじゃない。このグラスを持って、《ゆい》さんが感じる重さだとか、サバンナの大地を見て感じる赤色ね。その質感というか実感がクオリア。一般的には、クオリアは意識の一種でその基本だとされている、ということね」

クオリアは日本語で一般的に「感覚質」と訳される。〝質〟という漢字の意味は「もちまえ・生まれつき」や「物が成り立つもと」で、後者のような感覚を実感する想いといえばいいのだろうか。

「なるほど、クオリアはなんとなく分かった。じゃあ、それと意識の関係は?」

そんな唯井のことばを焦らすように、JJはグラスをゆっくりと飲み干すと言った。