【前回の記事を読む】「分かりやすいのは戦争。訓練でたたきこまれた人殺しの手順が、命令一つで無意識のうちに戦場で再現される。」
第一章 ナイロビ
その三 ホモ・サピエンス
唯井はさっきからなにか腑に落ちない感じがしていたが、やっとあることに思い到った。
「クオリアは意識の一種というけど、この二つは別々のものじゃあないのかな。どちらかというとクオリアは受け身で、意識は指示役だろ」するとややあって、
「それは間違いではないね。じつはクオリアが先に生まれ、そのずいぶんあとに意識が生まれた。やがて、ヒトの神経回路ではよくあることだけど、面倒なので意識に一本化したんだ。だからより正確に言うと、人の意識は一人二役ね。自分を実感し自分と共に思い悩み、迷い、傷ついたりする一方で、いろいろな心の機能を働かしたりする」
そう答えると、唯井を引き合いに出して
「《ゆい》さんという生体のいわば代役としてクオリアがいる。代役というけど、受け身のところは《ゆい》さん自身ともいえるから〝クオリアの自分〟と呼ぼう。同様に、意識も《ゆい》さんの代役で、こちらの方は《ゆい》さんのため今なにをすべきかと、絶えず身の回りに注意を配っているね。
まさに、執事の小人といった趣だから〝意識の小人〟と呼ぼうか。意識の小人は頻繁にクオリアの自分と『これで大丈夫か?』などと自問自答して、なにを《ゆい》さんの真意とするか確認してるね」
――なにが意識の小人だ。まだここまで半信半疑だが、どうやら奥が深そうだ。気楽に考えていたがこれは危険かも――
JJはまだまだ話したりないようだったが、唯井はさっきの「意識のない人間」に話をもどして、その先を聞きたかった。
「とりあえず、意識については分かったよ。いずれにしても、ホモ・サピエンスには本能や感覚はあっても、われわれのようにクオリアや意識はなかったわけだね」
と念押しして、
「でもホモ・サピエンスが、意識を持たずガゼルやヌーなみの知能じゃあ、手の込んだ狩りなど絶対に無理な話だろう?」ともう一度、こだわりの原点をしめした。
「そのとおりね。ここに秘密の種がある。じつは彼らの精神的な構造は、いつの頃からかその中に特殊なものをもちはじめた。それは一般的に心の〝モジュール〟と呼ばれてるね」
またしても不明なことばだ。「モジュール」、響きはよいが初耳で想像がつかない。
「知能とはべつのね、もちろん意識とも異なる心の構造というか機能なんだ。これは進化心理学の分野において、今ではひろく認められていることね」