【前回の記事を読む】「こんな場所でお母さんはやめてよ」…ホストクラブにいたのは、娘の元カレだった。耳元に寄り添うように話しかけると…

言葉のサラダ

この頃から夏海の体調に変化が現れた。何もしたくない、考えることさえ億劫(おっくう)になってしまった。

頭の中で誰かが話をしている。何を言っているのかはわからない。でも、確かに色んな人間が頭の中で言葉を交わしている。それは数分続き、そして聞こえなくなってしまう。最初は疲れているのかなと思ったが、何か違うと感じていた。そして夏海は、ついにベッドから起き上がることができなくなってしまった。

寝室のカーテンを開けることさえ苦痛に感じる。いっそこのままこの暗闇の中で生活したい。遮光(しゃこう)のカーテンが部屋を一層暗くし、暗闇は自由自在に部屋中を歩き回っていた。

何かが自分の中で変化を遂げ、自分を餌に喰らい始めている。自分の中に巣食ったものが何なのか、頭の中で聞こえる誰かの声が、声だけでは飽き足りず手足までも持ち始めたのか、自分一人の拙(つたな)い想像が夏海をさらに追い詰めた。

逃げなければ、自分の中の何かから逃げなければ、そう思いつつ何もできない日々が続いていた。ほとんど食事を摂らない夏海の体重は五キロ以上も減ってしまった。そして鏡に映る顔は頰がこけ、顔色は浅黒く表情のない「老婆」の様だった。

「老婆」が自分の中に棲み始め、見え隠れする。こんな自分を誰にも見せたくはなかった。実際の年齢より若く見られることが夏海の自慢だった。だがこの頃の夏海は、実年齢より上に見えるどころか、もはやそこに佇(たたず)むのは女ではなかった。

鏡やガラス、自分を映し出す全てのものが怖かった、そして壊してしまいたくなる衝動に何度もかられた。

そんな日々を過ごしている中で携帯が鳴った。この頃の夏海は電話にさえ出たくはなかった。友人や仕事関係のメールも一切返信はしていなかった。

液晶の表示画面には、中井徹と文字が浮かんでいた。

「もしもし……」

「もしもし……」

携帯の呼び出し音がこの電話には出ろと叫び、夏海の声はかすれていた。

『もしもし、夏海さんですか。徹です』

「うん、どうしたの」

『いや、べつに何もないけど元気かなと思って』

「あっそうなのね、私……元気じゃないの」