【前回の記事を読む】「この客の付け方はおかしい」…客が部屋を出てベッドと化粧を直していると内線で「次の方がお待ちです。まだ用意できませんか?」
言葉のサラダ
「葵です。用意できました」
感情も何も感じられない言葉。まるで学芸会の台詞(せりふ)のような言葉。この一言で仕事が始まる。夏海の大嫌いな一瞬だった。
扉の向こうは見慣れた顔だった。
「葵ちゃん、会いたかったよ」
立花(たちばな)というこの男性は、神戸にある自動車メーカーの一次下請け会社の社長だ。故に身なりはきちんとして、いつもトラディショナルなスーツを身に纏っている。毎回百二十分コースを取ってくれるので夏海にはありがたい存在だった。
百二十分コースで客が店側に支払う金額は、指名料を加えて三万五千円ほどになる。立花はこのコースで月に三回は顔を出すため、余程金銭的に余裕があるのだろうと感じた夏海は、サービスも他の客とは違い、自分が持ち得ている女の魅力をフルに稼働させた。
毎回、夏海の顔を見るなり抱きついてくる五十代後半と思われるこの男性は、それなりに紳士的だが、この部屋の空気がそうさせるのか息づかいは少しばかり荒い。
「お久しぶりです。お元気でしたか」
夏海は満面の笑顔で挨拶をして、首に手を回し抱きついた。彼の肩越しの夏海の表情にさっきの笑顔は無い。彼の視線からそれた瞬間夏海の表情から彩りは消えた。
簡単な会話の後、シャワーを浴びてベッドに入る。風俗で稼ぎたいのならこの簡単な会話が重要だ。洞察力と記憶力をフルに使い、相手を観察し次に結びつける。
夏海の「負けたくない」という気持ちは、賢い風俗嬢を生み出した。初対面の客は店が用意してくれるが、それが次に繫がるか否かは、風俗嬢自身の力量にかかっている。裸だけを見せて稼げるほど風俗の世界は甘くない。それは、ただ接客が嫌で泣いてばかりいたあの頃の自分が、耳元でこっそりと教えてくれた。
ベッドの中では、今自分がどんな風に相手に映っているかを考え、身のこなしに気を配る。指先、目線、声の出し方等々。全てを計算づくしで時間を過ごし、相手に興奮を与え自分自身をその懐(ふところ)にもぐりこませる。