平成八年十月に大和町のイベントに招かれて郡上へ来られた時、十月五日夜、「郡上・地名を考える会」では先生を囲んで楽しいひと時を持つことができました。七日の朝、私の車で宿までお迎えに行き、美並村の故池田勇次氏の案内で星宮神社・円空資料館を回りました。
正午前に資料館を出て、八王子峠を越して新宮神社に参拝したあと、我が家で妻の手料理の昼食をとっていただきました。
そのあと新幹線の岐阜羽島駅までお送りする二人だけの車中で、「井藤君、その後小字地名の研究は進んでいるかね」と聞かれて返事に困ったことや、突然「井藤君の奥さんは霞のような人だね」と言われましたが、意味がよくわからなかったことも憶えています。
岐阜羽島駅に着くまで独学についてお話しされました。先生は私のような学歴も無い一会員に対等に接して下さる温かい人柄であられ、私にとって至福の一日でありました。
それから一週間くらい後に『独学のすすめ』という本が送られてきました。また、先生の記憶力には目を見張るものがあり、最初に桃山さんの立光学舎でお会いした時に自己紹介したと言いましたが、次回お会いした時には顔も名前もしっかり憶えていて下さり、感激したものです。
最後にお会いしたのは先生が文化功労賞をお受けになられた東京での祝賀の席でありました。宴の始まる前に、会場の控室で先生と数人の会員と共に歓談していて、先生から私の紹介をして下さり「井藤君の奥さんはねー、霞のような人なんだよ」と付け加えられました。
「ええっ」と私は驚きました。驚いてまたしてもその理由を聞くのを忘れてしまい、妻から頼まれていたのにもう聞くことはかなわぬことになってしまいました。
先生がいつも期待していて下さったカイトの研究も、先生のご存命中に結果を見ていただくことはありませんでした。先生があまりに元気であられたし、私も癌に侵されていることがわかり、一時呆然と暮らしていたため、かなわぬことになってしまったことを悔いました。
【イチオシ記事】「明るくて…恥ずかしいわ」私は明るくて広いリビングで裸になる事をためらっていた。すると彼は「脱がしてあげるよ」