第3章 幸せを見逃さない心を持つ

何気ない日の中にこそ隠された幸せ

私の母は易に凝っていて、良い先生が居ると聞くと、遠くでもわざわざ足を運んだものです。

他にも占星術の本を山ほど買い込んで、私に「この日は大事なことは決めちゃダメよ」などと、いつも注意していました。意識し過ぎるからでしょうか。占いは悪いことほどよく当たると解釈しています。

もう少しの辛抱で運勢が逆転するなどと何度も言われましたが、逆転したのを実感した記憶がありません。

人が占いに頼るのはきっと運勢が落ちている時で、何をやってもダメだから、人は占いにすがるのでしょう。誰もが幸せになりたいのです。

母は運勢が逆転すると言われて、宝くじが大当たりするような良いことを想像していたようですが、私は天から降って来るような幸運があったら、何か代わりにとんでもない悪いことが起こるのではないかと怖がるタイプです。何も起こらなくてどこかほっとしている私もいます。

そんな私は、「あなたにとって幸せってなんですか?」と聞かれると、「家族に行方不明者も重病人も居ないこと」と答えています。本当にそうだと今、その思いを強くしています。

母娘がどこも苦痛や痛みを覚えずに、朝起きてから夜眠りに就くまで無事な1日が何よりの幸せです。昔は、もっと別なことが私の勝ち取るべき幸せでした。私は、極度のマザーコンプレックスで、おそらく母を幸せにしてあげることが私の幸せであったように思われます。

一生懸命勉強して自分では精一杯の学校を卒業し、評価の高い企業に就職。自分には過ぎた男性と結婚をしました。一切遊びらしいこともせず、貯蓄に励んでお金は貯まりました。そして、ピッカピカの新しい家で、家族がみんな笑って生活していたかった。しかし、それは叶いませんでした。

母の介護が突然始まったからです。