あとから聞いたところによると、母の体調は仕事を辞めてからすぐれなくなったそうです。

キャリアウーマンのはしりとでもいうのでしょうか。母は、大手ガス器具メーカーのガス器具を販売する営業職として勤め、営業成績はいつもトップだったそうです。

彼女の実家は、お菓子とパンを売るお店を何軒も経営するようなやり手の商家で、一時期はアパートや借家の大家もしていたほど、経済的に成功を収めていました。そんな家で、物心が付いた時からずっと店番をしていた母に、営業という仕事は向いていたのでしょう。

結局、65歳の定年まで勤め上げました。

それまでの疲れが一気に出たのでしょうか。仕事を辞めてから急に、体の節々が悲鳴を上げ始めたそうです。大小含めて病気やケガに縁がなく、私の看病以外では病院に行くことがなかった母が、病院をハシゴするようになりました。

母が初めて受診したのは眼科でした。アレルギー性結膜炎と極度のドライアイということで、リンデロンという目薬が処方されました。そして、それをかわきりに、他の眼科、整形外科、内科を何軒も受診していったのです。

本人がまだ若かったこともあり、不調が現れる、また今ある不調が治らないとなると、すぐに別の病院に行っていたそうで、受診する病院と診療科は増えていきました。

病院に通いだして幾日か過ぎると、顔に500円玉大の発疹が出るようになりました。それから雪だるま式に不調な箇所が増えていったそうです。

私の両親の世代は、医師の言うことは全部正しいと信じ込んでいる人が多いようで、母も例にもれず、休まず病院に行き、医師に出された薬は生真面目に、用量用法をきちんと守って使用していました。それなのに、何故こんなに具合が悪いままなのか、皆目見当が付かなかったそうです。

次回更新は12月31日(水)、18時の予定です。

 

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