大いなる迷いも感じながら、勇気を持って人生の岐路を乗り越えた。

大学では植物学を専攻した。

清水慎太郎は、正当(せいとう)な「植物学」とは一線(いっせん)を画(かく)し山野草の勉強ばかりに没頭(ぼっとう)した。

担当教授(たんとうきょうじゅ)にも質問を発した。

あまりの専門性(せんもんせい)に戸惑(とまど)った教授は、「君の勉強は専門バカが入り込む趣味(しゅみ)の域(いき)だよ。そんなことでは単位(たんい)を落としてしまうよ」とつっけんどんに言われた。

学友にも常に言われていた。

「清水は変わっているよ。今のままでは必ず留年(りゅうねん)する」

学友の予言(よげん)通り、清水慎太郎は留年した。大いに慌(あわ)てた。

これ以上、両親に学費(がくひ)の負担(ふたん)はかけられないので、テスト時には徹夜(てつや)をして勉強した。

一年の留年(りゅうねん)の後、どうにか単位を取得(しゅとく)し、高校の生物(せいぶつ)の先生になった。

婆ちゃんも両親も、「慎坊(しんぼう)には、学校の先生が一番だ。よかった」と言ってほっとした。

日曜日や休日には、自分で作った梅干(うめぼ)し入りの玄米(げんまい)おにぎりを持ち、野山(のやま)を駆(か)けずり回り山野草(さんやそう)を写真に撮(と)り収めた。清水慎太郎先生の勤務する高校は、東京の私立男子高校(しりつだんしこうこう)である。

私立高校でもいわゆる偏差値(へんさち)が低く受験生(じゅけんせい)・保護者(ほごしゃ)にも人気がなく、しばしばどころか、いつでも定員割(ていいんわ)れを起こしている、受験界で声を潜(ひそ)めながらも侮(あなど)って呼ばれる、いつでも深い海の底(そこ)にへばり付いて浮上(ふじょう)することのない「深海魚(しんかいぎょ)」のような高校であった。