私は三人兄弟の二男で、三歳年上の兄は父の跡を継いで印刷会社で働いており、弟は高校時代に恋愛し、他家へ入籍した。

私は学生時代に教師を志望して、卒業後大学院生になろうと思って受験したが失敗し、結局父が経営する会社に就職した。教師の志望を捨てたのではないが、父が会社経営に不安を感じている様子があり、親孝行のつもりで息子として会社を時代の変化に沿った組織につくりあげようと考えて働いた。

社員教育はなかったが、私は新入社員がやるべきことをこなし、組織と業務の改善に腐心し実行した。

私が就職してしばらくして、父は会長となり兄は社長となったが、兄は遅い反抗期で二人の間に経営についての会話がなく、父は時代の変化に即した経営を兄に期待して社長にしたが、兄には志も将来ヴィジョンもなかった。

兄は嫁の実家が同業者だったから、その長兄と業界のことを話し合って、将来この業界は良い方へは向かわないとの考えで一致して、経営者の役割を果たそうとせず、真面目に働く意欲を失い、嫌なことはしなくなり、私はその不足を補わなければならなかった。

営業の仕事をこなし、時代の変化に即した業務改善をし、古い社則を社員と共に時代に即したものとし、組織を活性化した。

とくに受注の安定のために製品の用途・仕様について顧客と相談してアイデアを出して実用新案を共同申請し、業務の責任分担を明確化し、政府の業界再編方針の下でわが社は業績を上げていったが、業績を上げるほどに社長の兄はなにもしなくなり、経営者振って私をうまく使っているかのように振る舞い、自分が業績を上げているかのような見栄坊振りを発揮しだした。

そして私が四十九歳のとき、ある日突然、兄から辞めてくれと云われ、会社を逐われた。

それは兄夫婦と嫁の実家の長兄らの企みで、将来の相続において兄夫婦に両親の全財産を独占させようとする計画だった。

私は彼らの企みの罠にかかり、業績を上げている私を排除するなどということが信じられなかったが、「兄弟で争いたくない」「兄夫婦を立てなければ一族郎党の『家』が成り立たない」といった家父長制的意識が私には刷り込まれていて、その企みを阻止できなかった。

私は自分から会社を辞めて独立しようとした裏切り者に仕立て上げられてしまった。

そのころにはすでに教師になる志望は諦めていたが、物書きになることならできるかもしれないと甘く考えたこともあって、この馘首を受け入れてしまった。